ヒノガレカゼフカレ248コメント

1 ジョバンニ id:SDAJm6d0

2012-12-04(火) 23:45:54 [削除依頼]


ほとんど漠然としていて、けれども求めているものは何故か分かっていたから、船走る大海の、静かに光る野原の、言い難いまほろばを行くのだ。
  • 229 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:25:01 [削除依頼]
     門番は背が高く、鍛え上げられた筋肉の上に分厚い胸部の鉄鎧を着て、四角い顔を歪ませる。門番は、何度もガーデンが戦う姿を見てしまっている。何をしたところで、彼が誰の意見も聞かないことが分かっていた。
     ガーデンさん、いつまで居座れば気が済むんだい。毎回賞金取られちゃここの人気がなくなるんだ。俺が言ってるんじゃねえ、オーナーからの命令だ。悪いこと言わねえ、ここに留まっちゃならねえよ。最近じゃ賞金渡りなんてのがいるじゃねえか。アンタだったら立派な賞金渡りになれる。
     ガーデンは体を捻り、門番の胸部を蹴った。門番がバランスを崩して転んだことで闘技場の門から仲間がやってくるが、ガーデンはそれ以上何もせずに離れていく。弓をガーデンの背に構える人間も仲間に止められ、矢を弦から離した。
     宿が並ぶ土が剥き出しになっている道に寝転び、何も考えずにガーデンは眠った。旅をせずに何日も町に留まることが多くなっていた。森の中や町の路地で眠り、ずっと食べ物を口にしない日もあれば、気まぐれで料理屋に入って味わうことなく腹の中に料理を詰めた。大きな街に建つ塔を駆け昇り、銀貨をばら撒いたこともあった。塔から見下ろすと、街よりも大きな舗装された道があり、商人隊の貨車の列を追い抜いて先へと目を向けると、低いが長く連なっているなだらかな山脈が霧にまみれて見える。山脈を越えた先に王都があるのだ。
     闘技場の出入りを禁止されて、ガーデンは次に行く闘技場を頭の中で決めた。しかし誰もいない通りを歩いていた足はいきなり止まった。焦っている体をその場に横たわらせる。左もものカットラスが邪魔をして痛かった。寝ながらカットラスを取ろうとするが、その姿を想うと急に笑いが膨れ上がっていき、地面を叩いて声を出した。
     笑いが収まって目を瞑ろうとしたが、片耳が地面に付いているおかげで足音を感じることが出来た。遠くから歩いてくる男と女の子とは一年ぶりに会った。落ち着き払った二人の顔と、服の上に漂っているような隔離された厚みが、すぐにあの旅人達だとガーデンに教える。変わったところを探せば、女の子の綺麗な髪が結われていることくらいだ。
     ガーデンは彼女と目を合わせる。フィローという名前で男に呼ばれていたことを、まだガーデンは忘れていない。どのような時でも、ガーデンが汚れた姿で地面に横たわっていても丸い目を動かさない。
  • 230 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:25:30 [削除依頼]
     男が無精髭を触りつつ、ガーデンに向かって口を開いた。
     そうだ、お前は面白い男だったな。その雑巾みたいな顔が俺に似ている。ガキの分際でな。
     男はガーデンから少し離れたところで座る。フィローもその隣に座った。小石も落ちている剥き出しの地面だが、彼女は正座をした。
     地面でくつろぎ始めた男が、気味の悪い虫の行列を見つけて悪戯をする。ガーデンはカットラスの鞘で虫を散らし、男にいった。
     お前の子供か。その子。
     七つになる。母親譲りの料理くらいが、得意なことだ。使えん子でな。
     二人の親子は全く似ていなかったが、瞳の色だけは同じ灰色だった。
     フィローは自分のバッグからサンドイッチを二つ取り出す。胡椒がぽつぽつ散りばめられ、トマトが挟んでいないところにガーデンは好感を持った。
     フィローの方からガーデンに近付いてくる。わざとらしく首を傾げても、フィローは動かない瞳を向け続けるばかりでお互いにずっと見つめ合っていた。この時を、夢の中で何回も再生した時期があった。この二人が旅を始めて間もない頃、ガーデンがまだフィローを連れていることに後悔していた時だった。
     ガーデンの膝にサンドイッチを置き、フィローは肩を震わせながら父親の元に戻った。父親は何もいわずに顔を緩める。
     男はフィローからサンドイッチを奪い、二口で平らげて立ち上がった。背中に巻きつけていた剥き出しのフランベルジュを握りしめる。ガーデンがカットラスに手を運んでも、彼は笑っているだけだった。
     俺を殺さないのか。ルールでもあるのか。
     面白そうな獲物を、ここで待ってるのさ。分かるか、一番つまらない人間が誰か。
     お前のことだろ。
     名前は面白いのにな、ガーデン君。
     男は腰に差していた剣も左手で抜き、武器を両手に携え、村の入口を見ていた。
     ガーデンが気付いた時には、既に遠くから馬の馬蹄が聞こえていた。土煙を突き抜け、何十人もの騎士が隊列を乱してこちらへ向かってくる。舗装のされない道が馬に荒らされ、道沿いにあった民家は風で揺れる。馬に乗ったギルレイスの甲冑が真新しく黒光りして、周りの家並みがより小さく見えた。
  • 231 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:25:56 [削除依頼]
     騎士長が手を振るって怒鳴っている。男は左手で持っていた剣の切っ先を投げ槍のように逆手で掲げ、助走を付けて投げた。誰を狙った訳でもなく、半円を描いて騎馬隊の懐に落ち、馬の脚を傷つけた。馬の悲鳴に他の馬が反応する中、馬から降りた数人が合図を待たずに突進する。  
     隊列を組んで構えられた矛先の隙間を見切って体をずらす男へ、遅れて突き出された一つがせり上がる。男の顔が傾き、その最後の槍も越えられ、男は大きく踏み込んだ。騎士達は槍を捨て腰の剣に手をかけたが、男は目の前の一人を無造作に蹴り倒し、甲冑が重くて起き上がれない姿を見下ろし、フランベルジュを両腕の力でゆっくりと上段に振り上げ、一息に落とした。
     空気は小さく固まり、周りの騎士達は剣に手をかけたままの状態で、生まれて初めて、甲冑を着た人間が頭から胸まで断ち斬られたところを見た。
     ガーデンは血の臭いに息を止める。近くに座るフィローを見た。フィローは無表情のまま、笑っている父親と、噴き出た腸と血溜まりで形が分からなくなった身体を見ている。
     躯の切れ目から持ち上げたフランベルジュには亀裂が走っていて、もう使い物にならなくなっている。それをもう一度地面に叩きつけると、切っ先が折れて宙に跳んだ。男が落ちている槍を手に取った時には一人二人ほどの騎士が既に逃げ出していた。
     一人で突進してきた騎士の槍を、持っていた槍で受け止め、はたくように兜を打ちつけて横へ投げ飛ばす。倒れて地面を這っている騎士の姿に満足出来ず、槍を捨てて騎士の兜を器用に外すと、怯えている碧眼を中指で抉る。痛みのままに暴れ出す男を蹴りつけると、甲冑を着たまま低く跳び、商人が置き忘れた荷台に頭から落ちた。
     木の破片がガーデンとフィローの元にも跳び、ガーデンはフィローの着ているシャツを掴み、後ろへと引きずって離した。フィローは目を見開いていたが、彼が手を放すと何事もなく父親に目を戻した。
  • 232 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:26:39 [削除依頼]
     残りの騎士達は、騎士長の合図で馬に乗り、逃げ帰っていく。まだ二人しか道に倒れていないが、命を捨てる覚悟が騎士長にはなかった。
     最初に剣を投げつけられ、足の傷ついた馬が倒れている。鞍を地面に擦りつけ、足を動かして暴れている。男はガーデンの傍に置いてあった荷物から新しいフランベルジュを取り、再び馬の元へ戻って、暴れる四本の脚を一本ずつ斬りつけていった。男は子供のように動き回り、馬の反応を楽しみながらガーデンに声をかけた。
     馬は頭が良い。当然だが、頭の良い動物を殺すと、人は悲しみやすい。人は人の心配をすればいいものを。
     この子を巻き込むのか。
     ガーデンはフィローを指差す。フィローは言葉の意味がよく分からず、ガーデンを怖がっていた。
     この子の面倒を見てるんなら、大切に思っているんだろ。
     俺の妻は傭兵共に弄ばれ、その後に腹を捌かれた。姉は大病を患って狂い死んだ。故郷は人さらいで溢れかえり、国すら変わった。俺が殺してきた人間も、目の前にいるこの馬も、フィローも。お前も同じだ。生き方を考える必要などない。人間らしくない生き方というのが、俺のお気に入りなんだ。
     何で話をずらすんだ、何いってる。
     遠回しにいっている、生き方など考える意味はない。俺達はここで何をやっている? 世話好きの人間にすぐ同情され、人生を美しく語る人間がすぐに題材にしようとし、しかし最後には忘れ去られる、気にも留めない俺達の人生だ。この子供は、俺を利用している。言ってしまえば簡単だ。だから言葉にしたくないが、お前がしつこいからな。面白いし俺と似ている。
     どこが似ている。
     何を怒ってるガーデン。
     死んでもいいのか、娘だろ。
     そうだ、お前がつまらないのはそうゆうところだ。その言葉に意味があるのか。全てを知っている顔をしたお前が、中途半端にここでのたうち回っている。気苦労なことだ。死にたきゃ死ねばいい。ただ生きていたいなら、俺のように生きれば楽しいものを。
     お前は狂ってる。
     男は無精ひげをいじりながら、立ち上がれないガーデンを低い声で笑う。フィローが父親の手を繋ごうと近付くと、彼は彼女を押し飛ばした。良い場面だから邪魔をするなと怒鳴り、両手を広げ、わざとらしい顔で声を響かせた。
     お前は普通の人間かガーデン君。少しでも油断すれば殺気が溢れて、夢を見れば、死体を見る。俺はよく笑顔とセットで見るけどな。お前がどんな人間か、お前は分かっている。俺も分かったぞ。お前のような奴を何度か見たが、どうなったと思う。誰かに拾われ、服を買い、全てを忘れて目の前のことしか考えなくなった。ペットになってどう生きると思う。これで良かったんだと言い続ける。次に良いご主人が現れれば、すぐに斬り捨てるけどな。 
     この世は単純なものの積み重ねだ。何が他にあるとお前なら考える。所詮は死ぬのが怖いただの動物が、賢い頭を詰め込んで、何を考えてどこに行き着く。俺達は、美しくないものを美しく思って暮らしているだけだ。本の世界を空想だと思い、現実に戻っても、そこもまた空想だ。お前は、分かっているだろう。その仕方のないことがお前になら。
     ガーデンはカットラスを引き抜くが、男は笑うのを何とか堪え、ガーデンに向かって頷いた。
     悪かった、でも今やっても面白くない。そうだな、お前がもしも誰かのペットになって、幸せそうな顔でその辺を歩いていたら斬るのが楽しかったんだけどな。残念だ、もう俺は消えるとしよう。こうやって言葉にするのも楽しいもんだな、次会ったら、その時に考えるとしようガーデン。
     男は言葉通り村からすぐに消えた。フィローも倒れて汚れた服を払いながら、急いで追いかけていった。
  • 233 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:27:08 [削除依頼]
     フィローの足音を耳に残して、ガーデンは空を見上げて深く息を吸い込む。風が少し強まり、雨の匂いを運んでいる。剥き出しの地面は雨を吸ってぬかるんでしまうだろうと思いながら、ガーデンはその場に膝を付き、左もものカットラスを引き抜いた。声を出さずに勢いに任せて無造作に振るう。この刃はまだ腹を刺し貫いたことも、首を切り裂いたこともない。このカットラスを何に使うのかいってくれないまま死んだ。死んだ人間には何も与えられない。しかし彼は、彼を残す為にガーデンにカットラスを渡したのではないと、頭の中で考えていると不意に笑ってしまって、そのまま地面に倒れ込んだ。
     静かに単語を呟いていった。昔読んだことのある、緑色の湖の話に出てくる地名だった。全てが溶けあわせたように曖昧だが、口に出せるほど覚えている。湖を枯らしてしまう魔法の薬と、それを飲んでしまい消えてしまう魔女と、湖をひたすら守り続ける騎士の名前。
     有名な騎士になって、お姫様の私を助けるの。甘さの少なくなった声で耳元に現れる。まだ残っているフィローの足音が、いつの間にか降り出していた雨の音と重なる。彼は体を持ち上げて遠くを見た。落ち着き払っていた心臓が高鳴って雨音を止め、肌寒いはずが、手は汗をかいてカットラスを握りしめている。民家の開き窓から覗きこんでいる町の少ない住民は、目を見開いて雨に打たれるガーデンが恐ろしく映った。
     彼は立ち上がり、邪魔なバッグを置き去りにして歩き出す。藍色の髪を舞わせて呼吸に合わせて走っていた。




     雨が強まった時にガーデンは二人を呼び止めていた。強い霧が立ち込めていた。周りは植物も育たない泥に広がり、旅人達には嫌われている荒れ地だった。
     男はフィローを離れさせると、背負っていたフランベルジュをゆっくりと降ろす。ガーデンもカットラスを引き抜いていた。
     誰かの為に俺を止めるか。良い顔をしてるが、無難な締め括りだなガーデン。
     性に合ってるんだ俺には。
     ガーデンはフィローを見た。彼女は何も分かっていないような顔をして遠くで父親を見守っている。あの綺麗な髪が、周りの色を溶かすように温かく光り、真っ黒に染め上る曇天の下で目立っていた。
  • 234 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:27:32 [削除依頼]
     泥に足を取られ、歩くだけでも神経を使う。男はガーデンが考えていることを知り、小さく笑ってフランベルジュを前に放り捨てる。ガーデンも不敵に笑って一歩進んだ。
     ベルトに挟み込んでいた投げナイフを抜き、ガーデンは一息に振るう。男は脱ぎ捨てたオレンジの上着を前へ投げ、ナイフがそれに突き刺さった。ガーデンはため息をついて、腰と左ももに巻いているカットラスの鞘を泥に捨てる。右手のカットラスを前に突き出し、左手を前に振り上げる。腰を落として、相手が攻めてくるのを待った。
     男は腰に差した剣をゆっくりと抜き、荒れ地を駆ける。構えていない、垂れ下げられていた剣が動いた時、ガーデンの左腕も動いたが、彼の剣はガーデンを斬らずに頭上へ転じ、一瞬の遅れを越えて袈裟懸けに振り下ろされる。肩口を狙うその斬撃を、ガーデンは体を前へ踏み込み、右腕のカットラスで受け止めた。金棒を相手にしているように感じられるほど受け止めた衝撃は重く、カットラスの刃が震えていた。
     男の左手がいつの間にかガーデンの胸ぐらを掴み、前へと押し飛ばす。ガーデンの右腕が勝手に目の前を突き、男は一瞬だけ体を止めた。一歩二歩離れ、不安定な体を立ち止まらせる。靴の爪先が浮くほどに泥が土を侵食して削り取っていた。
     男が剣で跳ね飛ばした泥を、右に頭を逸らして避ける。その間に右手側に踏み込まれ、ガーデンはあえて片足の踵で身体を回転させた。ガーデンの目が男の剣先を捉え、左腕のカットラスが弾き、一拍の差で右腕のカットラスが男の胸を掠めた。
     男は一歩も退かずに返した剣を突き出す。ガーデンは左手のカットラスにある十字型の鍔で相手の剣の鍔を掴む。震える剣の切っ先が、目の前で止まった。ガーデンは無意識に右腕を振るっていた。男は振るわれるカットラスに動じず、ガーデンを押し出した。ガーデンは後ろへ後ろへ足を向かわせるが、遂に足が地を滑り、泥に倒れ込む。
  • 235 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:27:53 [削除依頼]
     男がガーデンの上に跨り剣を振り上げたが、ガーデンが自由の利く頭を男の顔にぶつけ、突き飛ばした。倒れていた二人は水溜まりの中で立ち上がり、また襲いかかった。一切の無駄がない剣の横薙ぎが、雄叫びを上げて跳びかかっていたガーデンの腹を裂き、ガーデンの突き上げたカットラスは男の右肩を刺し貫いた。二人は重なって倒れる。雨音が激しく泥を打ち付け、川のようになった荒れ地の中、お互いに体を押さえつけ、得物を振るった。ガーデンのカットラスが何度も男の腹を刺す。男の剣がガーデンの左腕を刺した。左腕のカットラスが、目の前で零れ落ちた。
     男がガーデンを蹴り飛ばし、すぐに立ち上がった。起き上がろうとするガーデンが持っていた右手のカットラスを蹴り飛ばす。
     うつ伏せのまま、ベルトに残ったナイフを取ろうとした左手を踏みつけられ、ガーデンは頭を持ち上げて叫ぶ。男は笑い、ガーデンの背中を斬り付け、振り上げてから、腹を鋭い剣先で突き刺す。再び振り上げられた時、泥を掻き集めていただけだったガーデンの右手に確かな感触が伝わり、仰向けになった瞬間、それを体の上に引き上げた。
     男の剣がフランベルジェの刀身に切っ先をぶつけ、小さく欠けた。生じた火花に退いた男の足が泥に浸かったカットラスを踏み、彼は足元に視線を移す。ガーデンは叫んだ。使えない左腕の代わりに、右腕で抱きかかえるようにフランベルジュを持ち上げ、身体ごと全力で男に突進した。
     強い雨は衰えることなく降り、とめどなく飛び跳ねる血も泥にまみれて消えた。フランベルジュは男の腹を突き破り、フィローの髪のように周りを溶かす光を着ている。
     ガーデンは荒い息を吐きながら、おもむろに男から離れた。男は突き刺さったフランベルジェを両手で掴み、ゆっくりと引き抜いてみせた。灰色の目がしっかりとガーデンを見ていた。何かをいうのかと思っている内に、口から血を流し、痛みで捻じ曲がった顔を残して仰向けに倒れる。
     雨に打たれながら彼は手を浮かせて、遠くにいるフィローを指差していた。フィローはすぐに駆け付け、父親の手を握った。男は口を何度も開けたが、血を空気と一緒に吐き出すだけだった。代わりに震える手でフィローの頭に手を置き、優しく撫でてから自力で目を閉じた。
     力がなくなって落ちてしまった彼の手に驚いてから、フィローは乾いた喉でお父さんと呟く。男の頬に顔を付け、両手で男の体を必死に叩きながら、獣の死に様のように、消え入りそうな高い音で泣き叫ぶ。ガーデンはカットラスを拾い、必死に昔のことを思い出しながら倒れた。
  • 236 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:28:36 [削除依頼]
     .


     夢だと思いながら、何度も幼い頃に教え込まれた地理のことや、家庭教師のどうでもいい顔が蘇る。
     目の前にいるもう一人の自分はおそらく笑っているようだったが、何か異質な空気を持っていて、ギルレイスの黒い甲冑を着ていた。傍で甲冑に見惚れている彼女の目が霞む速さで見られると、もう終わっていた。
     雨の上がった道の上で、腹に包帯を巻かれた男が死んでいた。ガーデンの身体にも包帯が巻きつけられている。フィローは体中を泥水で汚して、父親の隣で眠っていた。
     ガーデンは息を大きく口で吸い込む。乾き切った舌を動かすと咳き込んでしまい、フィローは目覚めた。
     痛みは予想よりもなく、彼は起き上がり、死んだ男へ近寄る。フィローが怯えるのを気にせず、何度も落としながら男を担ぎ上げた。フィローはガーデンの足を何度も殴りつけるが、構わずに雨の止んだ荒れ地を歩き始めた。
     泥を越え、小さな森の木々を抜けると、茂みの多い湿地帯が開けている。沼を大きな葉が覆い、顔を出す亀が波紋を残している。ガーデンは更に先へと歩き、フィローは黙って付いて行った。水草を踏み抜いて行く度に足元がふらついて、男を茂みに寝かせて休んだ。力を無くすと巻いてもらった包帯から血が滲み出ているのに気付いて、青白くなった顔で笑う。
     乾いた咳を延々と繰り返す。随分昔に思えるあの老人の顔を思い出した。今頃、鳥のように鋭い手で本を開いているのだろう。
     男をまた担ぎ、木々の生い茂る沼を渡る。その先の深い茂みには、スープの器に使えそうな丸まった葉がたくさん落ちていた。見上げると、いくつかの樹木が枝を露出している。先にはもう木々がなく、遮るもののない視界の彼方で、湖が広がっている。
     担いでいる男の口元は少しだけ笑っていて、自分を棚に上げて、傍にいる二人と木々をあざ笑っているようだった。
  • 237 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:29:12 [削除依頼]
     ガーデンはベルトのナイフで土を砕きながら、手で穴を掘った。フィローはただ父親を見下ろす。父親の身体は段々と固くなり、手を繋ぐことも難しい。包帯が取れて、フランベルジュが突き刺さって出来た大穴から血が少しずつ出ていた。
     お前は墓なんて信じないだろ。でもこの子の為だ。
     男を抱えて穴の中に入れた。フィローを一度見てから、土をかけ始める。彼女も手伝ってくれていた。
     俺を恨んでるよな。
     フィローは難しい顔をする。ガーデンはもう一度いったが、彼女が言葉をあまり知らないと随分経ってから知った。
     横向きの水車。
     フィローが指差す先に、小川に流されて横倒しになっている水車があった。
     降り続いた強い雨で、川が繋がって出来た湖に夕日の光が注がれている。その先の平地に、人が歩いて出来た白色の曲線が続き、見えないが向こうに街があると分かった。
     お母さんの家。横向きの水車。
     どうしたんだ。
     フィローはもう口を閉じて水車を見ていて、雨に汚れた横顔をガーデンは見つめる。夕日が地平で消え、いつの間にかあった月が目立ち始め、藍色に包まれた中で、頬は汚れが消えたように見えづらくなり、白い光を蓄えた。
     一緒に行くか?
     ガーデンの口が勝手に開かれていた。フィローはすぐに頷いた。
     ガーデンはそれを聞いてから、少し休もうとしてその場に倒れる。意識が朦朧として、体を動かすのが難しかった。フィローが体を揺すって声を出すが、ガーデンは無理なことをするなと、半ば笑うようにしてフィローの手を掴んで握りしめた。しばらくして、彼女が泣いているのだと分かった。
     近くで、湖となってしまった川の様子を見に来ていた村の人間が、フィローの泣いている声に気付き、人を集め始める。ガーデンは他人事のように笑って目を閉じる。




     フェルバディアとの交易が一部で始まった頃には、闘技場がギルレイス各地で開かれるようになっていた。腕利きの人間は恨まれ事などから逃れて賞金を狙い続けられるように、各地を移り歩き、膨大な闘技場に挑戦するようになり、賞金渡りと呼ばれるようになった。
     混雑の中で一際早く動いている長い足をフィローは追いかけ続ける。流れる人の様々な履物が音を出し、複雑に重なり合ってフィローの耳に吹き込まれる。一つの靴音がフィローには重い。ガーデンは立ち止まって待つことにした。
  • 238 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:29:42 [削除依頼]
     フィローとどう話そうか考えて空を見ていると、次第にどうでも良くなり、肩や背中に触れていく人の群れを遠くから見たくなる。彼女が胸に手を置いて呼吸を整えていたから、ガーデンはジェスチャーをしながら路地裏の入口まで向かう。彼女はガーデンの足に目を離さず、無表情で移動した。
     お前はポーンか。
     フィロー。
     分かってるよ。
     バッグから水筒を取り出し、一息に飲む。フィローも自分の肩掛けから小さな水筒を出した。
     飲もうとして彼女が上を仰ごうとした時、そのまま手を止めて、向こう側の通りに建っている服屋を見据えていた。
     どうしたフィロー。
     緑の服。
     彼女が指差すところに、服屋の外で売られている暗緑色のジャケットがあった。たくさんのポケットが付いているハンティング用のもので、細いシルエットが鋭く、古びたような襟元が風で揺れている。フィローは最初にガーデンと会った時、彼が暗緑色のジャケットを着ていたことを覚えていた。
     ガーデンは水筒を落としていた。急いで拾うと、掻き乱れる人混みを通り越えてジャケットまで辿り着いた。切り裂かれたジャケットと似ていたが、細部の違う別物だった。しかし、このジャケットは裾や襟元にまでナイフを仕舞い込めるようになっていて、本格的なものだった。
    彼は笑いながら、財布に入っている銅貨を何枚も取り出した。
    お金、とフィローが呟いた。彼女は実は話し好きなのかもしれないとガーデンは少し思った。
    そう。どうやら古着みたいだな、銅貨でも買えるとは安上がりだ。
    フルギ。
    抜け殻だ。
     ガーデンは店員に銅貨を渡して、その場でジャケットを羽織った。ガーデンが笑いかけると、フィローは首を傾げる。彼は急に冷めた顔になって、意地悪に早歩きを始めた。
    そういえば。賞金渡りって知ってるか。闘技場で戦うやつ。
     賞金稼ぎ。
     それは首を取るやつだろ。
     首を取る?
     首を取る仕事なんだ。俺は賞金渡り。
     首を取る仕事。
     俺は違うからな。分かってるよな。
     二人は町を後にした。彼は次の道は彼女に選ばせようと思っていた。どちらにしても今日は野宿が決まっている。
  • 239 ジョバンニ id:j8SnPC41

    2014-11-03(月) 17:30:11 [削除依頼]
     



     昔から政治にも戦にも縁がない田舎に彼は帰る。湿地を見渡せば、空を映す湖から浮き上がる大小の土地が、たくさんの緑を生やし、風と動いている。いつも誰かがボートを入れていて、湖を切る波紋がゆっくりと動いている。この地に生まれた先代の父親が死ぬまで渡さなかった権利書を譲り受けて、彼は豪勢な家を買い、小さな頃はいつもこの場所で暇を潰していた。
     変人同士だと思っている姉が今は住んでいる。男は式で着ていたローブと金の装飾を脱ぎ捨て、一本の短剣を持って家の二階へ上がった。
     彼女は大病で寝込んでいる。世話をしている女を外に出して部屋に入ると、姉は汗ばんだ顔で笑った。寝間着のままベッドから起き、傍にある背の高い椅子に座った。男は頷いてベッドに腰掛けた。
     姉は人が変わったように鋭い顔になって口を開いた。
     真っ白な手紙が来たよ。この国はおしまい。素敵な人を死なせたもの。私にも、彼女にも辛い世だった。お腹の子も。あなた、嫌いでも騎士なんでしょう。何か言い訳を考えてよ。もうじき死ぬんだから私。
     男が窓から手入れのされている庭を見下ろすと、白いワンピースを着た女の子が野原を駆け回っていた。屋敷の若い人間と毛むくじゃらの犬に遊んでもらい、口を大きく開けて笑っている。男は大きく息を吸い込んで、彼女をずっと見ていた。
     私の子なの。隠していたわ。
     隠す必要はなかった。いつ生んだ。
     二年前くらいね。もうすぐ三歳になる。
     名は何という。
     フィロー。愛情の一つ。愛を交えて、それは他者に広がる。いつも私は、子供が生みたいって思ってたのよ。好きな人も本当はいたのよ。昔雇ってた人よ。無理をして生んでしまった。私と違って元気そうでしょ。あなたに預けるわ。
     男は姉の方へ振り向いた。姉の灰色の瞳は窓辺の光を受け止めて、今まで見てきたガラス細工よりも細かく、深い色を含ませて見える。もう一度窓から庭を見下ろすと、あの小さい顔がこちらに向いていた。
     この国は変わる。この湿地も、何もかも。俺と同じ世捨て人にさせてしまう。
     あの子にもあなたにも必要だからよ。育ててちょうだい。今から会わせるわ。
     彼女は男が見ていることも気にしないで、寝間着を脱ぎ、ベッドの隅にかけられていた白のロングスカートに手を伸ばす。痩せても美しいままでいる足が通り抜けると、スカートの光が一層深まったようだった。
     首元の開いた白の衣を着ると、姉は娘と同じ色をした髪を整えながら急いで階段を下って行った。付いて行くと、裸足のまま姉が野原を駆け、娘を抱きしめ、頬に口づけをしていた。やがて姉が娘の手を引き、こちらへ寄ってくる。不思議な様子でこちらを見上げる彼女の手を握り、男は姉の言葉に従って野原を歩いた。
     遠くには湿地が広がっている。寒空の夕日がもうすぐ沈み込み、地平線に眩い閃光が現れると、水面が魚の鱗のように変幻の色を照らす。
     近くの人里では、段差の設けられた小川に沿って横向きの水車が弱々しく連なり、石臼を回して粉を作っている。誰もいない湿地の水面を見ると、石臼の回される音、水草のしおれた形と色が重なり合う。家の外で遊ぶ女の子たちの派手なスカートが、夕日の中で影色となっている。その中で踊る姉が手を振っているのを無視して、リンゴの木を相手に、木の棒を振って剣士の真似をしていた。
     お前は簡単に死なないようにしろよ。
     女の子はつまらない顔をして困っている。男は顎を使って促した。彼女が湿地を見渡すと太陽が沈み切る。
  • 240 ジョバンニ  id:hRSjAfq/

    2015-06-21(日) 12:53:20 [削除依頼]
    短い話6 ナシの村より


     ある小さな村に二人組の旅人が着いた。二人の名前は、ガーデンとフィローだった。
     フィローがガーデンの暗緑色のジャケットを掴む。ガーデンは彼女に従って、ナシの木で埋め尽くされた背景を見渡した。質素な暮らしを営んでいる村の家屋がたくさん並んでいるが、飢えてしまうことはないだろう。腰の曲がった夫婦が手当たり次第にナシを取っている。小さな男の子が、ナシの白い花を触っている。立派な木がいくつも育っていた。
     パンという名の青年が気配もなく後ろから声をかけてくる。フィローは小さな悲鳴をあげ、ガーデンは眉間に皺を寄せるが、パンはずっと微笑んでいた。
     少しして、ガーデンは普段の顔に戻り、手紙置場と宿屋があるか聞いた。地図が嫌いな彼にとって、大切なものでも、自分の目が捉えてくれるか、他人が示してくれなければ見つからない。地図が読めないフィローも、それに従っていた。
    「旅人さん、だよね。普通はここに旅人なんて来るわけないんだけど。だって、そうだなあ。何もないでしょう。でも、貧乏暇なしでさ。俺は嫌いじゃないんだよ、本当さ」
     パンは他の村人に気をつかうように周りを見ながら呟く。ガーデンとフィローはお互いの顔を見て、その後にもう一度口を開いた。
    「手紙置場。それと宿屋があれば嬉しいんだが」
    「ないよ。僕の家とか、勝手に使って良いけど。もし良かったらナシを売ってる町に乗せてくよ。貨車だけは立派だからさ」
     ガーデンとフィローはパンの家に案内された。しかしそこは腐った木が積み上がっただけのような廃屋で、野宿とあまり変わらない様子だった。ガーデンはため息をついた。パンの他に村人を見つけていれば良かったが、今は揃ってナシの木の面倒をみていて誰もいない。
     ナシを貰って喜んでいるフィローの頭を撫でつつ、パンにいった。
    「貨車に乗せてもらったら、いつぐらいに着く?」
    「この家じゃ不満かあ、まあ住んでる僕が不満だから仕方ないんだけど」
    「この子を知り合いに預けなければならない。出来れば早めにと、頼まれているんだ」
    「そういうことか、ごめん。日の入りまでには絶対に着くよ、さあ行こう!」
     ガーデンはため息をついてから、フィローに笑いかけた。フィローは首を傾げたので、ガーデンも首を傾げながらパンの跡を追う。二人の動きに決まった意味はない。それでもフィローは可笑しくなって、笑みを浮かべながらガーデンを追って走った。
  • 241 ジョバンニ  id:hRSjAfq/

    2015-06-21(日) 12:54:01 [削除依頼]
     戦場を駆けているものと違い、毛深く、太くて短い足の馬だった。この馬の名前もパンだ。ナシを町に運んでいく為の貴重な労働力だった。速くはないが力持ちで、休まずに遠くまで運んでくれる。
     紅い布の上にナシを詰め込んだ布袋が山積みにされている。町の露店に行けばすぐに売れ、一日に二回、町と村を往復することもあった。ガーデンとフィローはパンの話を聞き、まだ見えない町の賑わいを想像していた。靴の音は二人の好きな音楽を奏で、人の顔はオブジェのように動かない。盲目と化した人だかりを、ゆっくりと無駄もなく二人は歩いている。
    「さっきの話なんだけどね、このパンの名前とぴったり同じだったから、僕もここで暮らすことになったんだ」
    「ここの生まれではないのか」
    「そうさ。旅人さんも賞金渡りっぽいね。僕、賞金渡りだったんだよ。それなりに強かったんだよ」
     ガーデンはパンの顔をもう一度見た。彼の笑顔は何かと怪しく、ガーデンにとっては、青年の皮を被った得体の知れない人間に見えてしまう。ただ、同じ村に住んでいる人間は彼の良さをよく分かっているのだ。村を出る時、一人の若い女性がパンと話をしてから、被っていた麦わら帽子をパンに渡していた。面倒を見たくなる好青年だ。
    「俺も賞金渡りだ」
    「へえやっぱり! 大した稼ぎになるよな。僕は豪遊してた」
    「それで、馬と名前が一緒だったから、仕事を辞めたのか」
    「そう! 皆驚くんだよ。村で仕事をするのは退屈だけどのんびりだよ」
     パンは笑い続ける。フィローは怯えていたが、ガーデンも少しだけ笑っていたので落ち着くことが出来た。
     パンは欠伸をしながら、馬のパンから離れて、貨車のナシを食べる。三人はあまり喋ろうとも思わず、引いて行く景色を見ながら時間を過ごした。貨車の横に縄で縛られている短い槍にガーデンは気付いたが、すぐに目を逸らした。かつて、パンが使っていたものかもしれない。
     貨車は昼の間に着き、馬のパンは休むことなく賑やかな町の門を越え、憲兵のいる審査管理の通りに入る。ガーデンとフィローはお礼をいって行こうとしたが、パンは笑って呼び止めた。
    「名前くらい教えてよ。僕の名前はもう教えたもんね」
    「ガーデン。この子の名前はフィロー」
    「フィローちゃん。ガーデン。おかしな名前だね、俺のこと忘れないでね」
    「ナシを見る度に思い出しそうだ」
    「それは良いことかな?」
     パンは小さく離れてから振り返って手を振る。ガーデンはそのまま歩き出す。
     お土産にもらったナシをフィローに渡して、これを使った料理が作れるか聞いた。フィローは何度も頷いた。その日の夜、ナシを焼いて、甘い香りを嗅ぐと、フィローの頭の中でパンの笑みが浮かび上がった。焼いたナシをどうするか聞こうとして振り返ると、ガーデンはいつものように宿のベッドにうつ伏せで寝ていた。
  • 242 ジョバンニ  id:UJbZD8g0

    2015-06-26(金) 21:19:55 [削除依頼]
    少し長い話6 バロン・パンディ・ドーラのフロントより


     バロン・パンディ・ドーラは民宿であるが、上品な宿だ。私の名もドーラといい、面白い偶然だった。
     フェルバディアとの戦争の当初、初代のオーナーが経営を始めた。しかし私を雇ってくれた二代目のセドリオの話では、パンディル大国との戦争の時代から小料理屋として原型があったという。それが本当であれば、百年以上前からあることになる。私はパンディルの生まれだが、そんな戦があったことは私を含み、誰も学んでいない。つまらない歴史だからだ。だからなのか、古い宿だが、戦争の臭いは微塵もなく、常連客は昔話をしない。
     触り心地の良い緑色のカウンターに両手を付け、階段の踊り場の丸窓を見つめる。夕方の赤みが消え、すっかり夜となっている。その遅い時間に、扉の開く音がした。私は振り向いた。
     頭上のランプが、鋭い眼つきの男性と、珍しい髪色をしている女の子を照らした。夜は暗くて、光に当たるお客様はいつも風変わりな妖精のようだ。
    「ようこそ。冷えますね」
    「五泊お願いしたい」
    「五泊ですか」
    「出来なければ一日でも。今日だけで構わない」
     近くにいた手伝いの娘に聞いてみると、二階の小さな部屋に空きが出来たことを思い出した。相談も無しにその部屋を五日分埋めた。
    「小さいお部屋ですが、五泊分のご用意が出来ます」
    「そうか」男性はカウンターに布袋を置いた。
     名簿を書いてもらう。男の方がガーデン、女の子がフィローというらしい。
     二人は階段を上がる。途中、踊り場で立ち止まり、バロン・パンディ・ドーラで一番つまらないと私が思っている丸窓の景観を覗き、また上って二階へ消える。布袋を開けると銀貨が五泊分あり、チップは何もない。
     二人のことが気になった。ガーデンは偽名ではないか。服はかなり使い古されているから、長旅をしている最中か。左ももに、片手で持てる大きさの剣があったのを見る限り、賞金渡りか、賞金稼ぎかもしれない。丁度、この町の闘技場も明日から始まる。それなら、子供をどうする気だろう。
     ガーデンはまた階段を降りてきた。脱いだジャケットを左手に持ち、着ている白いシャツが張っていて、広い肩が目立つ。彼は足が長く、すぐにカウンターまで歩み寄ってチップを差し出した。
    「手紙置場はどこにある」
    「町の北側に。闘技場への道を行けばすぐです」
     彼は外へ出て行った。夜遅くになると戻ってきて、夜食をすぐに食べ終わった。
  • 243 ジョバンニ  id:UJbZD8g0

    2015-06-26(金) 21:20:56 [削除依頼]
     面白い客に出会うと、日記のページの端から端まですぐに埋めてしまう。私は二人組がやって来た夜、将来について話し合った若人の日記を書いた。フェルバディアから来たらしく、フロントに用意された、階段の傍のテーブルで仲間とカードをしていた。カードで勝つと、私にチップを渡し、仲間にワインを振る舞うようにといった。彼等はギルレイスのワインを何よりも愛していた。
     翌朝、オーナーのセドリオが顔を見せる。青地に白の縦筋の入った服、その襟元にある大きなレース飾りは、セドリオの四角い顔と、細いラインの口髭に似合っている。非常な器の大きさで、持っている爵位よりも立派な方だった。
    「ドーラ、闘技場から名簿を預かった。二人組のお客様、賞金渡りのようだ」
    「やはりですか」
     賞金渡りの類が来るのは珍しい。以前、酒癖の悪い賞金渡りが暴れたことがあり、私もセドリオも注意深くなっていた。
    「名のない者に、名を与える罪を許したまえ」
     セドリオは名簿を見つめ、愛読している思想家の言葉を呟いた。意味は分からない。彼は私に細かい指示をいってからすぐに外出した。オーナーは元々一流の宮廷料理人だから、朝の間は市場に入り浸っている。そんな彼が、私には恐れ多いものに感じていた。
     セドリオと入れ替わりに、私達の中で話題となっているあの二人組が階段から降りてきた。また踊り場の丸窓を少しだけ見た。
     カウンターまで来ると、ガーデンはゆっくりとした声でいった。
    「調理台を貸してくれないか」
    「おそらく、はい。いや。ですが、最高のお食事を提供させていただきます。今朝はいかがなさいましょう」
     ガーデンは女の子と目を合わせてから、早めに出してほしいと答え、階段を上った。今度は丸窓を見ない。昨日の夜、セドリオのリブロースシチューを食べた人間が、そこまで自分で料理がしたくなることに疑問があった。
     朝食を私が持って行ってから少しして、ガーデンと女の子は出掛けていった。食べるのがとても早かった。
     昼になれば私の役目はつまらないものばかりだ。若くて賢い給仕の男性を誘い、オードブルの種類が豊富なところで一緒に食事をした後で、オープンカフェの椅子に座り、道行く人を見ながら話をした。フェルバディアからの奉公人をセドリオはよく雇っていて、食事を共にした男性もそうだった。異国の話をしてくれるのが面白く、しかしこのように面白い男が奉公をするのだから、敗戦国に来るよりも、フェルバディアに留まるべきだったとも思えた。事情があるのだろう。私もここへ来るまでに大変苦労したから、皆の気持ちは良く分かる。ギルレイスは決して良い国ではない。鉱山資源では他の国より上だが、今では貿易や他の生産が国として機能しておらず、王族の解体が起こってから金も無くなり、フェルバディアからの支援を全面に受けている。私にとって王族の解体はどうでも良く思えるが、地位に固執したギルレイスが、結果としてフェルバディアに全て吸収される様は同情する。残された人々は、地に足が付けられないまま、持ちつ持たれず、今日を暮らしていく。自由を目指して戦っていた私の友達は、どんな顔をするだろう。今は私の故郷で畑を耕していて、今となっては口数の少ない人だ。
  • 244 ジョバンニ  id:UJbZD8g0

    2015-06-26(金) 21:21:43 [削除依頼]
     夕方になって戻ると、新しいお客様がやって来る。部屋の数は多くない。必ず相部屋を勧めることになるが、それが私にとって苦痛だった。人によっては表情を険しくさせるが、にこやかに笑って承諾してくれる人もいる。こちらが話さなければ、真心を貫くことは出来ない。それは私の自尊心と連結している。
     陽が落ちると、ガーデンが泥まみれになって帰ってくる。後ろについている女の子は疲れた顔をしている。二階に上がる前にガーデンは自分で泥を落とし、床を汚さないようにしてくれていた。変わらない顔をしているがきっと疲れているのだろう。私の好奇心は、家の壁ですらよじ登っていく野草のように広がり、ガーデンが何かつまらないものにこだわり、命を犠牲にしようとしているようにすら思えた。この町の闘技場は強者が集まることで有名だったからだ。
     次の朝になる。常連の貴婦人が香辛料の利いた焼き魚を褒めてくれ、私は機嫌が良かった。
     外出していたガーデンが戻ってきた。階段の傍のテーブルにたくさんの本を積み上げている。私は手伝いの青年に頼み、ガーデンの代わりに二階まで本を持っていかせた。ガーデンはゆっくりと上る青年の背中を、厳しい眼つきで見ていた。いつも通りの眼つきともいえるが、運ぶ青年を心配しているのか、それとも彼にとって、本は触れられたくないものであったのか。
     昼頃になると、ガーデンの相棒である女の子が、階段を勢い良く駆け下りてきた。大人しいと思っていたが、そうでもないのかもしれない。子供がいることが珍しく、とても微笑ましい気持ちになった。私が笑顔で手を振ると、女の子は早歩きになった。
     曲げた手には小さな編みカゴ、この町の近くで買ったと分かるワンピース型の民族衣装に、私の知らない青い花を飾りつけ、優雅な足取りで外の扉を開いた。結っていた髪はほどいてある。
     しばらくすると、女の子は帰ってきた。カゴはまだ空だ。小さい顔に明らかな影を滲ませている。しかし何かを決心したのか、再び外出した。女の子はそれを何度も繰り返し、夕日が沈む頃にようやく様子が変わった。カゴにたくさんの食材を入れ、二階へ上がった。
  • 245 ジョバンニ id:UJbZD8g0

    2015-06-26(金) 21:43:12 [削除依頼]
     そのあと、私達が夜食の準備に忙しくなっている時に、ガーデンが降りてくる。私の前で立派な鶏の肉を持ち上げて、料理が出来ないかと聞いてきた。とっておけないのだ。
    「豪快に炙ってくれ」ガーデンは少し小さな声でいった。「そう、頼まれた」
    「かしこまりました。スープも数種類ご用意いたします」
     ガーデンの言葉が曖昧にしか分からないままそう答え、セドリオに鶏を見せた。セドリオは細い口髭をさらに細め、歌う調子で、それは不満か挑戦か、といった。セドリオは望み通りに、柑橘系のスープと鶏の炙り焼きをつくった。
  • 246 ジョバンニ id:UJbZD8g0

    2015-06-26(金) 21:44:23 [削除依頼]
     私はあの二人組について日記を書くことを決めた。この宿には変わったお客様が来る理由が必ずあるのだろう、闘技場に集まる観客達のように活気に満ちている。上品なものは、私の自尊心とそれに応えようとする対応と、セドリオの料理、それが薄い水の膜となって宿を音も無く包んでいる。しかし、私達は透明な妖精に似ていて、いつでもそれを語ってくれるのは、その時代に順調に溶け込む者達、そして場所を求め、迷い歩く異邦人だ。熱を宿して生まれる刀剣のように、見知らぬ出会いに全てが満ちて、研ぎ澄まされる。
     次の日の夜、朝に外出したガーデンはまだ帰ってこなかった。私の自尊心は揺らぐことなく、扉を開けて入れるようにしておき、長い間待っていた。朝方になると私は眠り、すぐに起きた。
     昼頃に革の鎧を着込んだ三人組の男達がやって来た。扉を蹴破り、階段の傍のテーブルで私と談笑していた夫人が悲鳴をあげた。私も目を丸くした。
    「ここに泊まってんだろ! 顔は覚えてんだからな、おい!」
    「金もたんまりだろう! 夜の仕返しだ、迷惑かけたくなかったら出てこいよ!」
     よく分からないままガーデンが戻ってきていないことを告げるが、三人組は私を押しやり、ガーデンとフィローの泊まる部屋へ上がろうとした。私は階段の前に立ち塞がった。
     三人が殴りかかろうと身構えた時、厨房からセドリオの声が伸びてきた。
    「由緒ある宿屋でありますよ、そこの方々。お客様でなければ、二階へ上ることは許しません」セドリオの足取りは軽快だった。こちらへ歩み寄り三人組の目の前で立ち止まった。
    「笑わせる。ただのボロじゃねえか」
    「良く見れば、闘技場に縁のある方達でいらっしゃいますか? 愉快なことに、私の友人がこの町の闘技場を仕切っておりまして、他の闘技場でも、顔が知れているのですよ、このバロン・パンディ・ドーラは。いやそれは実に光栄ですが、あなた方の顔も、有名にしてさしあげることが出来なくはありませんね」
  • 247 ジョバンニ id:UJbZD8g0

    2015-06-26(金) 21:45:35 [削除依頼]
     三人がまだ何かをいいたそうにしていると、セドリオは高いワインを三本、それぞれの両手に持たせる。三人の顔色が変わっていくのを私は見ていた。狂気の顔だ。
    「この宿屋、そしてこの町を出るまでは、お客様の安全を保障しています。どうかお引き取りを」
     三人がゆっくりとワインを持って扉を閉めた瞬間、私は大きな声で笑った。セドリオは私の頭を硬い拳で叩き、厨房へ戻った。
     夕方になると、悩み事が一つもなさそうな顔をしてガーデンが帰って来た。靴やジャケットは汚れているが元気そうだ。ガーデンは私にチップを渡し、遅い昼食を頼んだ。その少し後に夕食が運ばれ、それも綺麗に食べた。
     夜、ガーデンが階段の傍のテーブル席でボードゲームをしているところに、私はワインを勧めた。差し出したグラスにワインを注いだ。
     椅子に置かれた賞金袋は丈夫な革で出来ていて、優勝者の証だった。私は賞金渡りという人種を好きになれないが、この町に集まる猛者をその涼しい顔で倒してしまったかと思うと、清々しい気持ちになる。自由で、恐れ多いものに見えてしまう。私達と同じ道を歩き、同じワインを喉に入れる彼は、神聖なる作業として人を倒し、賞金を手にする。彼の飲むワインは、私達が飲むことを拒む。そうやってセドリオに話せば、私を追い出すだろう。彼は何事も神と比べることを許さないのだ。
     あの二人が旅立つ日となった。王都からやって来た観光客の集団の後ろで、ガーデンとフィローは話していた。女の子は笑みを浮かべていて、ガーデンの顔もいつもより穏やかに見えた。しかし、彼は今日よりももっと優しい人だろうと思いたくなった。
     ガーデンが私に挨拶をした。
    「良い宿だった」
    「ありがとうございます。料理はどうでしたか」
    「うまかった」
    「またいらしてください、いつでも歓迎いたします」
    「うん。いやもう来ないかもしれない。でも良い宿だった」
     二人は扉を開け、出て行った。私は今まで考えていたたくさんのことが、少しずつ消えてゆくのを感じた。お客様を見送る時はいつも感じる。そして新しいお客様を迎え、新しい考えが頭を巡っていく。そうした猛烈の日々を遅くしたい時、とても魅力的であったお客様を思い出し、日記を読み返すのだった。
  • 248 ジョバンニ id:UJbZD8g0

    2015-06-26(金) 21:46:10 [削除依頼]
     ガーデンとフィローはあれからやって来なかった。二人が去った日、階段の踊り場へ歩み寄って、彼等が見ていた丸窓の景観を見た。変哲の無い、柵の無い国境線だ。新緑に包まれた山々に囲まれ、道という道はない。パンディルと隣接するこの町は、傭兵の集会として昔からあった。敗戦後、傭兵の集会は闘技場となり、流通が増えた。闘技場が消えれば町は散り散りになり、この宿もその時になくなるだろう。
     休みをいただいたら、故郷のパンディルへ足を運ぶことにしようか。心配性で優しい母と、何故か女の名を与えてくれた穏やかな父に会う為に、私も小さな自由を纏って、歩くこととしよう。
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