人格者の小川さん100コメント

1 めの id:OAPFgq..

2012-11-27(火) 20:04:31 [削除依頼]

 もう冬至も過ぎたというのに、頬を伝う風は生温く、見上げた空には蒼鉛色の大気が広がっている。おとといに降りすさんでいた雪はすでに象ることをやめ、今はただ、一面にぶちまけられた不透明なシャーベットにすぎない。形を持たないから、踏みしめるたびにそれはぐずぐずと潰れ、ぼくの足跡に似せた、不細工なでこぼこを作り出す。
 スノートレッキング・シューズ越しに感じるその存在が、僕は嫌いだった。常に足場や水はねに気をつけなくてはならず、おちおち考えごともできないからだ。まして、ごきげんにお気に入りのジーンズを履いて出かけようなんて考えた日には、それこそ一歩々々に細心の注意を払わなければいけない。地雷源を進む兵士のような、ひどく繊細な足取りで、僕は早朝の国道を歩いていた。
 よく整備された公園が見える。まだ雪っぽさを残したそこは、点々と備え付けられた照明とアスファルトの小道を枠にして、かなりの広さの平原を持ち、中央には石彫りの噴水がある。まだ夜が更けきらないとはいえうってつけの場所ということで、ウォーキングに勤しむ影がいくつか見当たった。
  • 81 めの id:nbu4BEs0

    2013-06-23(日) 13:31:07 [削除依頼]


     

    ……

     

     時計の針が加速していくことにあせりはなかった。ギャップを埋めることがなによりも先決なのだと思った。いちど腰をすえて考えてしまえば、どうということはないのだ。結論はすぐに浮かんだ。昔誰かが言ったことだけど、たいていの問題なんてコーヒーを一杯飲み干すあいだに思い浮かぶものだ。なによりも大事なことは、それを実行できるかどうかだ。
     導き出した答えはまちがいなく、僕を試していた。言ってしまえば、それは「自己暗示」に他ならない。意図せずとも、潜在意識が僕を違う世界へいざなったのが「明晰夢」だけど、いまは僕自身が潜在意識を意図する世界へ引き込もうとしている。
     とうてい現実的な答えじゃない。だからといって、僕にほかの選択肢はなかった。そういう意味でも、この回答はすぐに浮かんだ――というより、どうせはじめから分かりきっていたのだと思う。そして、「明晰夢」のなか、僕は自らの本心をまざまざと自覚するに至ったのだ。
     僕はティナに対して、どこまでも利己的であり続けた。シドウが僕にとって願望であったとすれば、ティナは恋人に他ならなかった。娘のことを愛していたわけじゃない。僕ははじめ、彼女へ娘の存在を投影して、そのくせ彼女に惹かれていったのだ。

     シドウの唇を奪った理由もそこにある。彼女が何も言わないことはよく知っていたし、確信もあったけど、僕はそれでも不安で仕方なかったのだ。夢の中の出来事であることを踏まえたうえで、心底浅はかな行為だと思う。
  • 82 めの id:P35AjiO/

    2013-07-05(金) 22:21:39 [削除依頼]


    ……

     風呂上り、「僕」は喉を湿らせたくていつも台所へ向かう。ふつうはコップに注いだ水か晩酌あたりが相場なのだろうけど、「僕」はなぜかむしょうに、小さな氷をたくさん口に含みたくなる。むろんそれはえらく簡単な行為だから、実践する。昔なにかで読んだけど、貧血気味のひとは氷を食べたがると聞いたことがある。けれど、それが事実だったとして「僕」にとっては建てまえに近い。同意をもらったことは一度たりともないけど、びっしりと詰まった氷の軋轢する感触が好きなのだ。
     今しがた、食卓のいつもの席へ座るティナを見た。彼女はたしかにこちらを見ていて、表情は伺えないけど、あからさまなほど物言いたげだった。

    「なに?」

     彼女はいくらか不思議そうな顔をした。

    「何度見ても面白い癖だなって、思っただけ」

    「たしかに」

     咀嚼する音がよけい大きく感じる。今の会話を挟んだせいだからだけど、むしろそれよりもいっそうティナの目線のほうが気になった。

    「もうシドウは寝たの?」

     その質問に対して、「僕」は少なからず驚いた。「シドウ」が寝たかどうか見定める方法を、彼女はもうとっくに知っているものだと思っていたからだ。

    「そうだと思う。ほら、扉の窓が暗いだろ」

     「僕」は「彼女」の部屋を指さした。

    「いつも暗くない?」

    「んー……なんていうか、あの部屋に灯りがついてるときってさ、窓が反射しないんだけどさ。ついてないとああいう風に、暖炉の明かりが写るんだよ」

    「そうなの?」

    「うん。もしかしてこれ知ってるの僕だけだったのかな」

    「そうだろうね。諒人くんって妙なことばっか見てるから」

     「諒人くん」という呼び方に驚いたものの、それよりももっとその言葉に違和感を感じなかったことが意外で仕方なかった。
  • 83 めの id:dqKNeWE.

    2013-08-18(日) 14:13:10 [削除依頼]
    「……嫌だった?」

     少しの沈黙を置いてティナが、妙なうやうやしさで「僕」に聞いてきた。

    「どうして」

    「……気にしてないならいい」

    「うん」

     いっそう張力をなくしたように、彼女の口ぶりがくぐもった。

    「先寝るね。おやすみ」

    「うん、おやすみ」

     「僕」のやや遅れた返事を待たず、彼女は部屋へと消えていった。不思議と落胆とか、そういう感情は見て取れなくて、というよりむしろ、何かを隠すような、揺動するものをあたかも平静であるふうに振舞っているのだと思えた。
     もしかして、少しばかり素っ気なさすぎたのだろうか。と、「僕」らしくなく省みるけど、彼女が口いっぱいに氷を詰め込んだ「僕」にはたしてまともな応対を期待するのかと考えたところで、すべてが杞憂だということに気づく。
     まさか、「僕」の名前を呼びたかっただけということもないだろう。
  • 84 めの id:Dg4/GLn.

    2013-09-08(日) 22:36:45 [削除依頼]


    ……

     それに気づいたのはあまりに時間が経ってからだった。
     かつて人々がジフテリアを患った時代のことでいうと、いまの行為はおおかた、貧乏なリーベンクイが鉈を隠し持って馬に近寄るようなものだったかもしれない。齟齬のないようにいえば、時間の経過こそ僅かだったけど、いま「僕」が背後から切りつけられようとしている状態にあるなら、この適応までのずれは致命的だろう。
     なにが言いたいのかといえば、さっきの彼女の行為にはこの上ない「目的」があったのだ。「僕」への確認事項を済ませて、それを実行するために部屋へ戻った。
     間違いなく止めるべきだっただろう。でも、どういうわけか、今すぐ彼女の部屋へ押しかける気力がひとつも湧かない。「僕」はもうひとつ、彼女が真実へ辿り着くのを望んでいたかもしれないことにも気づいた。

     軋轢するものが溶けきって、ようやく僕の足は歩きはじめた。ノブに手をかけたときの気分は奇妙なくらい沈着していて、あるいは投げやりといっていいかもしれない。欝々ともしていないのがもっと不思議だった。
  • 85 めの id:xy7bh4Z.

    2013-09-09(月) 18:29:00 [削除依頼]
     結論からいうと彼女は椅子に腰掛けて、飾りげのない一冊のノートを手に取っていた。「僕」が予想していた、これ以外にあるはずのない光景に違いはなかった。

    「人の日記を読むのは感心しないな」

    「……ごめんね。ちょっとした好奇心だよ」

     そう言いつつ、彼女は綴りを追うことをやめていない。だけど、すこし注意して見ると、ある特定のページだけを繰り返し読んでいることがわかる。「その日」に僕が記した内容は2、3ページほどに渡るものだったから、はじめ彼女が頻繁にページをめくっているように見えたのだ。

    「できれば、やめてほしいんだけど」

    「諒人くん」

     「僕」の言葉をのけるように、彼女はぴしゃりと言い放った。

    「どうした?」

    「聞きたいことが、あるんだけど」

     彼女が両手を使って日記の中ほどを掴み、その記述を「僕」へ見せてきた。


    「……ティナっていう女の子が、3年前に死んだって書いてあるの」

    「これは誰なの?」

    「どうして私と、同じ名前なの?」
  • 86 めの id:KEEeZnN/

    2013-09-17(火) 18:08:20 [削除依頼]
    えっと、突然なんですけど
    今日でこの話を完結させようと思います
    理由はとくにない…っていうか、今日でないとだめな気がするからです
    そうとう頑張らないと終わらないのですが、もし今日中にこの物語が終わらなかった場合、どうか笑ってあげてください
    ちょっとした決意表明です(
  • 87 めの id:KEEeZnN/

    2013-09-17(火) 21:47:12 [削除依頼]

    「……はは」

     これ以上なく完全に「詰み」だった。結論からいうと、「僕」はいつも日記の入った棚に鍵をかけて、そのうえ「シドウ」の部屋に鍵を預けているから、ティナが「僕」の日記に手をつける、という行為は本来不可能である。もちろん「彼女」の部屋であることには理由があるし、つまり「彼女」だけが「僕」の日記を読むことができる唯一の存在だったわけだ。
     その行為は紛れもなく、ある種絶対に必要なものだった。「彼女」に鍵を手渡して、それでも「彼女」が「何も変わらない」ことが、「僕」にとってはとても重要で、且つ「あること」を証明するにあたって、この上ない裏付けとなるからだ。
     話を戻すと、つまり、ティナがさっき戻ったように見えたのは彼女の部屋でなく、「シドウ」の部屋だったのだ。「僕」はそのことに今しがた気づき、しかもそれは手遅れだった。彼女が鍵の開け方を知っている理由だとか、そういう疑問はいくらかあるけど、いまこうして確かな証拠を「僕」に突きつけていることだけが、何より優先される事実だった。

     そして何より、繰り返すようだけど「僕」はそれを止めなかったのだ。
  • 88 めの id:KEEeZnN/

    2013-09-17(火) 22:16:01 [削除依頼]


    「ねえ、答えてよ」

     アレクサンドラの声色は今まで聞いたことのないくらい、配慮を欠いたものだ。当然、弁明する余地はひとつもない。
     だけど、「僕」の心を支配していたのは謝罪の気持ちでも、まして日記を読まれたことへのむかつきでもなかった。またひとつ、僕には新たな「予感」が芽生えていた。


    「……うん、そうだよ。事実だ。この家には昔小さな女の子が住んでいて、その子の名前はティナだった」

    「フルネームはマルティナ・フォン・シェーファー。シドウ・シェーファーと僕の間に出来た子どもだ」

    「けど君の言う通り、彼女は3年前に死んだ。そしてその次の年、この家に君がやってきた。僕たちは君のことをティナと呼ぶようになった」

    「……特別な意味はないよ。済まないと思ってる。でも僕はそれだけ、かつての娘のように君を愛しているんだ。君は許してくれないかもしれないけど、これは真実なんだ」

    「そう」

     また、遮るようなひとことだった。奇妙に思えて、「僕」はふたたび彼女のほうを見るけど、顔つきには何の変化も見て取れない。
     よりいっそう奇妙だ。なぜって今の一言(たった2文字の発音にすぎないけど)、声色にさっきまでと明らかな違いがあったからだ。さっきよりもあきらかに、激動するものを押し隠している。怒っているように思えたけど、どうやらそれすらも違う。
  • 89 めの id:KEEeZnN/

    2013-09-17(火) 22:31:13 [削除依頼]
    「……どうしてなの」

     消え入りそうな声量で、彼女はいちど呟いた。この部屋の燈りはそう明るくないから、その姿は薄くぼんやりとしているけど、それでも分かるほど、彼女の身体は不自然に強ばっていた。


    「いま言ったけど、理由はないよ」

    「そうじゃないの!」

     いちだんと大きく、ティナが言い放った。「僕」は思わず、彼女から目を離して、隣の部屋に一瞥をやってしまった。

    「……なら、なにが?」

    「どうせ、諒人くん分かってるでしょう」

    「いや、まったく」

     彼女の中で、何かが切れたようだった。もしかして、僕の表情にすこしだけ笑みがまじったのかもしれない。

    「……嬉しかったの」

     何かの決意が綻んだ瞬間だったのだと思う。彼女はそう洩らすとともに、ぴんと伸びていた背筋を崩して泣いた。

    「ごめん。何が嬉しかったの?」

     「僕」は彼女の肩ほどを押さえたまま、傍らにしゃがんだ。彼女が小刻みに震えるのを、指越しでつぶさに感じる。

    「ティナって、呼んでくれたのが」

    「諒人くんが、私のためにつけてくれた名前だと、ずっと思ってたから」

     油断したらため息をついてしまいそうだった。内心「僕」は安堵していて、肝腎そうな様子を見せることだけに意識をやっていた。
  • 90 めの id:KEEeZnN/

    2013-09-17(火) 22:44:49 [削除依頼]

    「……そっか」

    「……だからどうしてなの」

     「僕」の手を振り払って、ティナは再びこっちを見た。
     とうに事態を楽観視していた「僕」だったけど、その眼差しがまぎれもなく、いやに炯炯としていることに気づいて、それは本心でおそろしく思えた。

    「私はその子の代わりだったの?」

    「だとしたら今まで、諒人くんの優しさは私のためじゃなかったの?」

    「諒人くんが愛していたのは、私のことなの? それともティナっていう子のことなの?」


    「……私は、諒人くんのことを愛してるのに」
  • 91 めの id:KEEeZnN/

    2013-09-17(火) 22:51:22 [削除依頼]



    「……そっか」

     よく見ると、彼女はすでに泣くことをやめていた。そして、ふたたび違った目つきに変わっていた。それはひどく懐かしい目で、「僕」はさいしょ思い出せなかったけど、すぐに2年前、彼女が嵐の中あらわれた夜のとき見たそれに、そっくりだと気づいた。あのときの僕は「虚脱」していると思ったけど、いまそれが「諦観」だったことに気づいた。「僕」には経験がないけど、なにもかもに期待も関心もない状態だと、ひとはこういう目になるのだということを知った。
     もしかしなくても、「僕」からなにかを察し取ったのだろう。

    「……でも、僕もだよ」

     けれど、「僕」はつぎに、あえて彼女の予想と全くうらはらであろう言葉を口走っていた。

    「え……?」

    「僕も愛してる」

     まだ、彼女はなにか物言いたげだったのだけど、それが「僕」に伝わることはなかった。
  • 92 めの id:KEEeZnN/

    2013-09-17(火) 22:51:48 [削除依頼]
    すいませんぜんぜんだめでした!!
    もう寝ますおやすみなさい!
  • 93 めの id:s3YU3bG.

    2013-10-07(月) 21:23:45 [削除依頼]
     本当に心底くどいようだけど、彼女がこれといった抵抗を見せないことも予想どおりだった。どれくらいの時間なのか曖昧だけど、しばらくの間ののち彼女の舌を自由にしてみせると、いくぶんか?辛っぽい息づかいが聞こえた。それと、右腕で抱えていた彼女そのものが、一気に重くなるのを感じる。だから「僕」が腕にかける力を少しずつ、ゆっくりと緩めていくにつれ、彼女の身体はシーツの中に沈んでいく。
     「僕」に迷いがないとは言えなかった。なにもこういう場合じゃなくたって、「僕」が行為に及ぶときにはいつだって迷いがあった。でもおそらくだけど、それもまた一種の「建てまえ」みたいなものなのだろう。

    「来て」

     彼女の声がした。「僕」の腰まわりには彼女の腕がすでに絡んでいて、そのしぐさは妙に淑やかというか、粛々とすらしているように思える。「僕」は彼女を抱き寄せた。背中にかけて這った彼女の腕が、よりいっそう強く「僕」を締め付ける。少し窮屈なくらいだった。

     「建てまえというか、「自己暗示」のほうがふさわしい言葉かもしれない」……とか、そんなことをうっすらと考えていたのだけど、ここで「僕」はひとつ、えらく大切なことを忘れているような気がしてきた。
     そもそも忘れているのか、はじめから理解できていないのか……それすらも分からない。まるで足元をすくうような、この感覚は異常そのものだった。思えば確かに、「僕」はずっと昔から、少しの変化をして遷ろう景色を見続けていた気はする。でもそれは「僕」の日常に過ぎなくて、だとすればどうして理解することができないのだろう?
     人は生きているから、同じに見える世界でも日々変わっていくのは当然なことだと思う。「僕」たちがそれに気づくことは少ないけど、大きな結果になってはじめて知ることが時々ある。今のはその「大きな結果」ではないのか? だとしたら何が?
     「僕」が「彼女」たちと過ごすようになってから、というより「僕」はそれ以前の記憶をなぜかほとんど持っていないのだけど、とにかく「僕」の生活には理解できないことが多かった。なにより恐ろしいのは、それに対してどうとも感じなかったことだ。理解できないことを疑問に思わなかったのだ。

     ちょうど「僕」が、間髪入れずに結論へたどり着いたときだった。「僕」をきつく抱きとめる腕が、一瞬だけ緩まった気がしたのだ。「僕」はすべてを理解した。


     錠の落ちる音が、いつもと違って耳元のすぐ近くで鳴った。
  • 94 めの id:s3YU3bG.

    2013-10-07(月) 21:35:03 [削除依頼]
    えっと、こないだ派手に大見得きって爆死してからしばらく経つわけですが あと2話で完結です いままでにないくらい時間をかけて書いた話なのでへまできない感はんぱない 「人格者の小川さん」 >>1+3-5+7+9-12+14+16-40+43-46+48+52-68+70+76-85+87-91+93
  • 95 めの id:HPmseHU1

    2013-10-09(水) 23:10:43 [削除依頼]
    えがらっぽいの「え」が環境依存文字だった…


     本当に心底くどいようだけど、彼女がこれといった抵抗を見せないことも予想どおりだった。どれくらいの時間なのか曖昧だけど、しばらくの間ののち彼女の舌を自由にしてみせると、いくぶんかえ辛っぽい息づかいが聞こえた。それと、右腕で抱えていた彼女そのものが、一気に重くなるのを感じる。だから「僕」が腕にかける力を少しずつ、ゆっくりと緩めていくにつれ、彼女の身体はシーツの中に沈んでいく。
     「僕」に迷いがないとは言えなかった。なにもこういう場合じゃなくたって、「僕」が行為に及ぶときにはいつだって迷いがあった。でもおそらくだけど、それもまた一種の「建てまえ」みたいなものなのだろう。

    「来て」

     彼女の声がした。「僕」の腰まわりには彼女の腕がすでに絡んでいて、そのしぐさは妙に淑やかというか、粛々とすらしているように思える。「僕」は彼女を抱き寄せた。背中にかけて這った彼女の腕が、よりいっそう強く「僕」を締め付ける。少し窮屈なくらいだった。

     「建てまえというか、「自己暗示」のほうがふさわしい言葉かもしれない」……とか、そんなことをうっすらと考えていたのだけど、ここで「僕」はひとつ、えらく大切なことを忘れているような気がしてきた。
     そもそも忘れているのか、はじめから理解できていないのか……それすらも分からない。まるで足元をすくうような、この感覚は異常そのものだった。思えば確かに、「僕」はずっと昔から、少しの変化をして遷ろう景色を見続けていた気はする。でもそれは「僕」の日常に過ぎなくて、だとすればどうして理解することができないのだろう?
     人は生きているから、同じに見える世界でも日々変わっていくのは当然なことだと思う。「僕」たちがそれに気づくことは少ないけど、大きな結果になってはじめて知ることが時々ある。今のはその「大きな結果」ではないのか? だとしたら何が?
     「僕」が「彼女」たちと過ごすようになってから、というより「僕」はそれ以前の記憶をなぜかほとんど持っていないのだけど、とにかく「僕」の生活には理解できないことが多かった。なにより恐ろしいのは、それに対してどうとも感じなかったことだ。理解できないことを疑問に思わなかったのだ。

     ちょうど「僕」が、間髪入れずに結論へたどり着いたときだった。「僕」をきつく抱きとめる腕が、一瞬だけ緩まった気がしたのだ。「僕」はすべてを理解した。


     錠の落ちる音が、いつもと違って耳元のすぐ近くで鳴った。
  • 96 めの id:u0nUb6L.

    2013-10-27(日) 22:01:16 [削除依頼]
    ……

     たぶん飛び起きたに近かったと思う。恐ろしい夢を見ていた気がするけど、今この瞬間、僕が覚えていることは妙にリアルなこめかみの感触だけだった。痛いくらい喉が乾いている。無意識に大きく息をつき、僕は湿りついた背中を起こした。
     ティナの姿はもう無かった。どうやら先に居間のほうへ出て行ったのだろう。
     居間に入ると――不思議というか、あり得ないことだけど――二人が食卓に着いていた。

    「おはよう、お父さん」

     愛想の良い声がする。なぜだか、背筋に冷たいものを感じた。シドウはこちらを見向きもせず、うつむいたまま正面に座っている。こっちはいつも通りなのだけど。

    「ご飯、できてるよ」

    「……え、ああ……うん」

     僕はいまいち、自らのロール (役割)を把握できなかった。今は果たして、どんな「現実」の中にいるのだろうか、もっとも、ほんとうは考える必要すらないのだろうけど。すこし分かったことは、今までよりほんの少しだけ、僕は「ミッシング・ピース」でなくなりつつあるということだ。僕がこの家に留まるということが、しだいにできなくなってきている。それが僕にとって何を意味するのか、なんとなく分かるけども、だとしても僕は――ここにいることを選択し続けたいのだ。

     本当に、なんて長い回り道だったのだろうか……つまりのこと、僕の理解は「確信」に変わった。その上で、僕の気持ちが変わることはなかった。自由に動かせる腕があったところで、僕は自分を殺したりはしなかったし、僕に足があったとして、逃げ出すこともありえなかった。
     そもそも、何も思い出せないし、目覚めても僕には何も無いのだ。だとしたら、果たして夢と現実の間に、明確な違いなんて存在するのか? だから、これは紛れもない「現実」なのだ。例えるなら、塀の中で一生を終える人間が、格子窓から覗く外の景色なのだ。僕を閉じ込めているのは、この家そのものであって、僕自身の肉体でもある。


    「寝苦しそうだったけど、大丈夫?」

     もう考える必要はない。
     僕はただ、すべての行く末を傍観することにした。誰も僕を殺そうとはしない。だから僕は死なないし、彼女たちがいるから孤独さもない。充足以外の何物でもないのだ。

    「……うん、大丈夫だよ。覚えてないけど、たぶん悪い夢を見ていたんだと思う」


     この夢は終わらない。
  • 97 めの id:u0nUb6L.

    2013-10-27(日) 22:04:09 [削除依頼]


    ……

    Keep the home fires burning (暖炉を灯して待っていよう)
    While our hearts are yearning (想い続けている間)
    Though your lads are far away... (彼は遠くへ離れていくけれど)
  • 98 めの id:u0nUb6L.

    2013-10-27(日) 22:05:03 [削除依頼]
     
     
     


     彼はふたたび、そして突然わたしの目の前に現れた。

     立春も過ぎて少し経つけど、身を切るような寒さはまだ尾を引いていて、窓の外には蒼鉛色の雲がどんよりと広がっている。ずいぶんと雪は降っていないけど、このまま桜の季節を迎えることはないだろう。雪国の春はまだまだ遠い。
     面会室に入ると、わたしのほうへ、ストーブの暖気が吹き抜けてくる。わたしのとは別に、小さな物音がして、目線をやるとすでに職員が一人座っている。壮年の女性だった。彼女はこちらを見ていなかったけど、わたしはとりあえず会釈をひとつくれた。
     席につき、ここでわたしはようやく、向かいあわせに座る彼の目を見た。


    「どうだ。最近調子は」

    「……悪くはないですよ。期待してましたか?」

    「そんなわけないだろ。純粋に、元気そうで嬉しいさ」

    「どういうつもりですか?」

     男はすこしおおげさに、息をひとつついた。

    「……なあ、アレクサンドラ。お前は認めてないだろうけど、俺はお前の父親なんだ。今日お前の顔を見れて、心底安心してるんだぜ。それに、色々聞きたい事があって当然だろ?」

    「それから、一応だが知らせがあるんだ。……諒人だが、あいつ生きてるよ」

     わたしは眉をひそめた。

    「生きてるっつっても……いわゆる植物人間ってやつだ。小脳にでかい障害があって、回復の見込みはないらしい。あの銃はもともと威嚇に使うもんだから、多分威力が弱かったんだろう」

    「……そうなんですね」

    「だからってお前を許すつもりはないし、同情する余地もあるとは思ってないが……なあ」

    「どうしてあんな事をした? あいつらに恨みがあったのか?」

    「だからって、何も、殺すことはなかったんじゃないか?」

    「君房さん」

     今度は私がため息をつきたかったけど、さすがにそれはしなかった。


    「……あなたの言うとおりです。私がしたことは、到底許されることではありません。正しいことでもありません」

    「正しいことでないことを理解した上で、それでも私は迷わず、彼らを殺しました」

    「悪い、と思って行われる犯罪は、存在しません」

    「……私は彼を愛しているから、そのために殺しました。愛している人に愛されないということは、死んでいるのと同じです。彼は私を愛してはくれませんでしたが、最後に私を抱いたまま果てました」

    「彼は安らかな顔をしていました。まるで気分のいい夢を見ているようでした」

    「それを見て胸がすくような気分になりました。私にはもうこれ以上の幸福はありません」

     話し終えて、一瞥した彼の顔は絶望と言って良かった。
     窓の外を見ると、いつの間にか、ずいぶんと暗い灰雪が降っている。
  • 99 めの id:u0nUb6L.

    2013-10-27(日) 22:12:29 [削除依頼]
    えっと、「人格者の小川さん」完結です まずはおそらく読んでくださったほとんどの方にとって期待外れの出来であったことを謝ります。ごめんなさい 長編書くひとってやっぱすごいなと思います でも、いろんなひとの言葉に励まされてここまで書いたことはほんと事実です そうでなければたぶん途中でどうでもよくなってやめていたでしょう えっとうん、ああだこうだ言っててもはじまんないな、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました! 「人格者の小川さん」 >>1+3-5+7+9-12+14+16-40+43-46+48+52-68+70+76-85+87-91+93+95-98
  • 100 めの id:6Lh42PB/

    2015-03-09(月) 16:13:29 [削除依頼]
    >>1+3-5+7+9-12+14+16-40+43-46+48+52-68+70+76-85+87-91+93+95-98
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