砂姫34コメント

1 かむお id:Woyzwzk.

2011-10-02(日) 15:42:44 [削除依頼]
 都より少し離れた場所にある泉。  美しく透き通ったその泉に、まだ幼い十になったばかりの少女が足を滑らして落ちた。  彼女は周りの大人から、将来とても美しくなるだろう、と日ごろからいつも言われていた。  彼女には婚約者もいた。良い家柄の、彼女より五つ年上の青年だ。    彼女は溺れながらも夢をみる。  明るい、希望にあふれた夢を。  夢は彼女の体を置いて飛び出す。  自らを、実現させるため。 >>2 御挨拶
  • 15 かむお id:RYyEr5H/

    2011-10-05(水) 16:20:53 [削除依頼]
    「この店でしょ? 遠いね」
    「ねー。靴屋全部おんなじところに集めてくれたらいいのに」
    「ね」
     それを横で聞いていた牡丹は「はあ?」と声をあげた。一瞬邪魔者牡丹がいたことを忘れていて、びっくりしてしまう。、
    「もっと近くにあるじゃん。そこは?」
    「やだー。先輩なんにもわかってないなー」
    「超分かんねえ」
     むしろ分かりたくない、と牡丹は心底嫌そうに続けた。清常と違ってかなり硬派というか男らしいというか。もちろん、いい意味ではない。馬鹿な男、と言われるのはこういうタイプなんだろうな。
     菊は他にも雑貨屋にも様があるらしく、牡丹はスポーツ用品店に行きたいと言った。今まで知らなかったのだけど、スポーツに関係する店はこのショッピングセンターの中に二つあった。少し感心する。私は特にこれと言って買いたいものはなかったけど、服を少し見て、あと本屋とCDショップにも寄りたいので、それらを回りながら靴屋まで行くことにした。
     
  • 16 かむお id:RYyEr5H/

    2011-10-05(水) 16:21:33 [削除依頼]


     一時間半が過ぎて、私たちはだだっ広いショッピングセンターを歩いていた。牡丹が微妙な顔でスポーツ用品店の袋と服屋の袋を左手に持っている。服屋の袋は二か所分ある。二人分のが二か所なので、それなりに重いのだろう。一方の私たちは鞄こそ持っているものの、ここに来る前と比べて変ったのは財布の中身ぐらいだろうか。お札が減って小銭が増えて、ほんの少しだけ重くなった、と思う。何グラムかぐらい。
    「ねえ、理不尽って知ってる? 知らないでしょ? 知らないからこんなことできるんだよね?」
    「女の買い物についてきたってことは、覚悟はできてたんだよね?」
     一時間半前の台詞とほぼ同文のものをいうと、牡丹は絶望した面持ちで、そうだった、と呟いた。鼻で笑う私と、落ち込む牡丹。菊は何にも考えていなさそうな笑顔を向けている。今更ではあるが牡丹は傍から見れば女の子二人に挟まれた、ちょっと可哀想な男の子として見られているのだろうな、と考える。まさか女たらしなどとは見られていないだろう。牡丹は他の二年生たちよりも身長が低くて、中学生と言われれば信じてしまうような容姿をしている。私たちよりも背が高いものの、その差は数センチで私にはまだ抜かす可能性もある。どちらかというと、彼は周りに弄られる、そんなタイプだ。
  • 17 かむお id:RYyEr5H/

    2011-10-05(水) 16:22:11 [削除依頼]
    「でもほら、良かったね。あの店が最後だよ」
    「ん? あー、見えた」
     いちばんの目的地にしていちばん最後の目的地、靴屋。やっと、それが見えた。このとき、買い物を初めて二時間になろうとしていた。まあ、私も菊も「やっと」という思いはあまりない。今までも買い物をして楽しんできたし、今度も買い物をする。それだけの話だ。どうせ牡丹は長かったーだとか、疲れたーだとか思っているのだろうけれど。やっぱり、甘いな。
    「あー長かったな」
    「まだ終わってないけどね」
     私の言葉に、牡丹の動きは止まった。頭は必死に回転されているのだろう。私の言葉の意味を、今の彼なら分かるに違いない。ほら、青ざめた。理解した、ということだ。
    「……ちょっと俺、そこのいすに座っとく」
    「それがいいよ」
     靴を履くときの腰掛に絶望した表情で座る牡丹。彼を尻目に、傍にあったスニーカーをとる。星のマークのブランドのハイカットスニーカーだ。色は黒とピンクで、デザインもその色合いも私の好みを周知しているかのようだ。戦慄してしまう。流石すぎないか。買わないけれど。私には既に愛用しているスニーカーがある。ローマ字読みすると『ニケ』のメーカーの靴だ。因みに高校二年生の三学期までその靴は履いていた。中学三年生の頃に買ったから、三年弱も履いたということか。ぼろぼろになって履けなくなる前に私の足が成長してしまった所為なのだけれど、かなり大切に使ったな。今は星のマークのメーカーのハイカット、つまりこの時に戦慄した靴を愛用している。
  • 18 かむお id:RYyEr5H/

    2011-10-05(水) 16:22:36 [削除依頼]
     私はスニーカーを持ちながら、横にいた菊に聞く。
    「どんなん欲しいの」
    「んっとねえ、学校の時の靴。あ、そんな感じのスニーカーがいいかな」
    「ふーん。でもこれ、高いよ」
     値札のいちばん左には六の文字がある。今までで三、四千円使ってきたのにまださらに六千円もお金を使うほど余裕があるのだろうか、この子は。確かに親はお金持ちだけど、五十円引きの日に合わせて雨の日であっても買い物をする子だというのに。
    「大丈夫。お母さんに今日靴買うって言ってて、その為のお金はもう貰ってきたから」
     そう言って菊が見せたのは、野口でも樋口でもなく福沢諭吉の肖像だった。
     でもそこで容易にはしゃいだりはしない。余ったお金で遊ぼうぜ、なんて言ったりしない。それは私だけではなく、今は少し回復した牡丹もだ。私たちは菊の幼馴染なのだそれは同時に、菊の両親についてもそれなりに詳しいということをさす。
    「分かった。それで買って、レシートと一緒におつりも返すパターンでしょ」
    「せーかいだよ。流石」
    「当然。で、何買うの? じっくり選んでもいいと思うけど」
     そこで言葉を切り、腰掛ける牡丹を見る。そうだね、と菊は呟いて、傍のスニーカーの並べられた棚から殆ど迷わずに一つをとった。ブランドは星のマークのところで、ローカットの赤色のチェックのスニーカーだ。菊は牡丹が座る椅子の端っこに腰掛け、ひもを解いて試着する。
     その様子を見ながら、私は少しだけ、意外だと思った。私が今まで抱いてきたイメージからは、彼女なら青か緑系統の色を選ぶと思っていた。菊はふわふわしたパステルカラーも似合うけれど、濃い色の服も好んで着ている。でも、赤色のものを着ているところも履いているところも見たことがなかった。
    「可愛いけど、珍しいね、そういう色」
    「んー、たまにはね」
     履き終わった菊は、二、三歩歩いてみたり軽く跳ねてみたりする。どうやらちょうどいいサイズだったようだ。履いてきたヒールに履き替え、スニーカーを持つ。
  • 19 かむお id:RYyEr5H/

    2011-10-05(水) 16:22:59 [削除依頼]
    「じゃ、買ってくるね」
     レジの方へ菊は行く。私は顔に赤色を取り戻した牡丹に視線を向けた。牡丹も見返してくる。特に何も言うこともなくて、傍から見ればおかしいだろうけれど私と牡丹は見つめあっていた。
     牡丹は少し、大きくなっていた。最後にこうして遊んだりしたのはいつだろう。私たちが二年生の頃、一度だけ買い物の途中に牡丹と出くわしたことなら会った。その時は、なんだか変な空気が流れていて、私たちは何も話さずに牡丹と別れた。その時よりも、少しだけ大きくなったように思えた。気の所為、かもしれないけれど。
     見つめあう私たちの、この変な空気、変な雰囲気を破ったのは、他でもない菊だった。私ではなく牡丹の肩を軽くたたいて、「済んだよ」と、それだけを告げた。
    「やっと終わったかあ」
     伸びをしながら牡丹が立ち上がる。良かったね、と微笑む菊。私は、自分が急に蚊帳の外に出されたような感覚に陥った。夢から覚めて、誰かの夢を見せられているような。何故だか分からなかったけれど、それは今までに感じたことのない感情だった。
    「お腹減ったね」
    「そうだな。ってか、結局兄貴には会えなかったな」
  • 20 かむお id:RYyEr5H/

    2011-10-05(水) 16:23:13 [削除依頼]

     二人の会話を聞いていると、その感情は募っていく。私は、今でもこの感情がどういったものなのか分かっていない。嫉妬、なのかも知れなかったのだが、私は嫉妬をするほど牡丹を好いていたのだろうか。否、であると思う。牡丹は、久しぶりの、少しだけ変わった幼馴染にすぎない。そんな感情を抱けるほどの何かを、私は牡丹に持っていないのだ。菊が抱くというなら、まだ分からないこともないのだけれども。ああ、菊はもしかしてその時、その少しだけの変化を大きくとらえていたのだろうか。
     牡丹が自身の携帯電話で清常に連絡する。清常はずっと食品コーナーにいたそうだ。玄関口で落ち合ったとき、彼はレジ袋を提げていて、その中にはお菓子やらなんやらが入っていた。
     ショッピングセンターから出た時、未だ空は曇ってはいるが雨は既にやんでいた。清常とともに車まで歩き、乗せてもらう。
     女の子二人、青年と少しだけ大きくなった幼馴染それぞれ一人ずつを乗せて車は発車した。
  • 21 かむお id:C4xVaff0

    2011-10-09(日) 16:19:45 [削除依頼]
     四章 ハンバーガーと思想
     
     大きく、めいっぱい口を広げてお出迎えする私。堂々と入場して来るのは、照り焼きバーガーだ。お肉は百パーセントアメリカ生まれ。そのお肉とキャベツとパンと諸々に、思いっきりかぶりつく。口の中に広がる甘いたれの味。口周りが汚れることなど気にならない。肉汁ジューシーとか、さくっふわっとか、そんな美味しさの代名詞のような言葉は出ない。そういうのじゃなくて、味が、とにかく美味しい。それに尽きた。たとえこれがものすごくかたかったりして食べにくくても、私はこれを食すだろう。ああ、美味しい。本当に、旨い。思い出して文章に起こす、それだけなのにこれ程までにお腹が空いて口内に唾がたまるとは、誰が思っていただろうか。
     自分で言うのもなんではあるが、なかなかの食いっぷりを見せる私と横で、牡丹と清常と菊は呆れた顔をしていた。
    「ほんと美味しそうに食べるな」
     牡丹。それは褒められていると受け取っていいのかな。
    「何というか、迷いがない食べ方だね」
     清常。何を迷うというんだい。
    「見てるだけでお腹いっぱい」
     菊。ちょうど口の中に入っていたものはすべて食道に連れて行って差し上げたので、菊にはちゃんと声に出してお返事をする。
    「じゃあそのチキン食べてあげようか」
    「やめて」
  • 22 かむお id:C4xVaff0

    2011-10-09(日) 16:20:41 [削除依頼]
     即答される。鶏肉が肉の中でいちばん好き、と公言する菊のことだから仕方のないことだけれど、少しさみしい気持ちになる。もう少し、躊躇してほしかった。女の子なのだし。食い意地はることもないんじゃないかな。私が言えることではないけれど。
     そのとき、ふと私は普段なら考えようもないことを思いついてしまった。
     もし、私ではなく牡丹が「食べてあげようか」と言ったなら、菊はどうするのだろうか。私に対してしたように、「やめて」と即答するのだろうか。それとも、少し躊躇ってから「いいよ」と言うのであろうか。頬を染めて了承する菊を想像してしまい、私は恐ろしさと不安が混ざったような、言いようのない気持ちにからかわれた。慌ててそばにあったジュースを飲み、喉を潤わせるとともにその気持ちも飲み込む。何も、何も不安に思うことなど無いのだ。私は何を早とちりしてしまったのだろう。三人に怪しまれることがないように、私は平静を装って、再度ハンバーガーにかぶりついた。
     今思えば、それは何か霊感などと言った、現実的ではない予感だったのかもしれない。でもそれは今だから考えつけることで、その時の私にそんな考えが思い浮かぶはずがなかった。
  • 23 かむお id:C4xVaff0

    2011-10-09(日) 16:21:07 [削除依頼]
     それから二十分程度が過ぎた頃だろうか。流行りのバンドの曲のサビが流れる。清常の携帯電話の音だった。彼はちょっとごめん、と断りを入れてから電話に応えた。なんとなく会話がし辛くなって、気まずい空気の中、私はぼうっと牡丹を見つめた。こうして見つめるのは今日でもう二回目になるだろうか。一日だけで見飽きてしまったといってもよい。
     顔の造形から、服装、目立たないが確かにある寝ぐせ。それらを見ていくうちに、牡丹は私のように、何か別のものを見つめていることに気がついた。私よりも、少し左。ああ、そこに居るのは。
     牡丹は菊を見つめていた。そして、菊も牡丹を見つめていた。ああ、今更ながら気がついた。あのとき見つめあっていた私たちに、菊がどんな感情を抱いたのか。靄がかかっていて、それは晴れなくて、なんとなく嫌で、そう、私がそのすぐ後に菊と牡丹が話していて感じた感情と、瓜二つのもの。独占欲と言うには弱いけれど、それでも嫉妬心をわずかながらも感じている。ああ、私はこれ程までにボキャブラリーが貧困だったのか、と思ってしまう。この感情が、どう名づけられているのか分からない。一年たった今でも、それは不明なままだ。ただ一つ分かっているのは、当時私は私が感じた嫉妬心と菊が感じた嫉妬心は同様のものだと思っていたが、それは違った、ということぐらいだろうか。菊と牡丹の心は、第三者によって理不尽にもわずかながら捻じ曲げられていたのだから。
  • 24 かむお id:C4xVaff0

    2011-10-09(日) 16:21:28 [削除依頼]
     それから二十分程度が過ぎた頃だろうか。流行りのバンドの曲のサビが流れる。清常の携帯電話の音だった。彼はちょっとごめん、と断りを入れてから電話に応えた。なんとなく会話がし辛くなって、気まずい空気の中、私はぼうっと牡丹を見つめた。こうして見つめるのは今日でもう二回目になるだろうか。一日だけで見飽きてしまったといってもよい。
     顔の造形から、服装、目立たないが確かにある寝ぐせ。それらを見ていくうちに、牡丹は私のように、何か別のものを見つめていることに気がついた。私よりも、少し左。ああ、そこに居るのは。
     牡丹は菊を見つめていた。そして、菊も牡丹を見つめていた。ああ、今更ながら気がついた。あのとき見つめあっていた私たちに、菊がどんな感情を抱いたのか。靄がかかっていて、それは晴れなくて、なんとなく嫌で、そう、私がそのすぐ後に菊と牡丹が話していて感じた感情と、瓜二つのもの。独占欲と言うには弱いけれど、それでも嫉妬心をわずかながらも感じている。ああ、私はこれ程までにボキャブラリーが貧困だったのか、と思ってしまう。この感情が、どう名づけられているのか分からない。一年たった今でも、それは不明なままだ。ただ一つ分かっているのは、当時私は私が感じた嫉妬心と菊が感じた嫉妬心は同様のものだと思っていたが、それは違った、ということぐらいだろうか。菊と牡丹の心は、第三者によって理不尽にもわずかながら捻じ曲げられていたのだから。
  • 25 かむお id:Ygqa1u8.

    2011-10-10(月) 16:29:56 [削除依頼]
    >24 うわあ今更連投に気がついた >23 「ごめん」  電話を終えて、清常は謝ってきた。 「急に仕事の呼び出しがあって、行かなきゃならなくなった。どうする、もうみんな帰るなら送っていけるけど」  菊が私と牡丹の顔を窺った。私は菊に、どうする、と尋ねる。一応本来の目的はすべて果たしたが、時間はあるのでもう少しどこかへ行ってみてもいい。幸いなことに雨は止んでから降っていない。曇り空もさっきよりは晴れている。 「あ、寄りたいところがあるから私は帰らないよ」  菊は牡丹を一瞬ちらりと見てから、清常に向かって言った。 「じゃあ俺も帰らんわ」 「あー、なら、私も」 「みんないいか。傘はどうする。必要無いなら持って帰っといてあげるけど」  三人とも必要ない、と答えた。  そのあとに勘定を済ませ、店を出る。お金はすべて清常が払ってくれた。当たり前のように、奢るよと言った清常の姿は格好いいといえば格好いいが、彼をよく知る私たちにとっては格好付けているとしか思えなかった。勿論、奢ってくれることに関しては感謝しているのだけれど。  清常は駐車場の方へ行き、車に乗り込む。私たちはそれを見送ってから、菊について歩き出した。
  • 26 かむお id:DRufR840

    2011-10-11(火) 19:33:51 [削除依頼]
     五章 静けさと嵐の前
     
    「どこに行くの」
     私の四回目の同じ質問に、前を歩く菊と牡丹はそろって呆れたような顔をして振り向いた。
    「だから、さっきから言ってんじゃん。着いたらわかるって」
    「だーってよ。気になる気持ちは俺もあるけどさ、こいつのやりたいようにしてやれよ」
    「何それ、お父さんみたい」
    「えー、牡丹がお父さんとかやだあ」
     本当に嫌だ、というよりは、冗談のようなニュアンスで菊が言った。困ったように笑う顔の、菊のその眼が、私の脳裏には焼きついた。暗く沈んだ、感情を湛えていない眼。笑っていない眼、というのはこういうのをさすのだろう。それは安心や安らぎなどのプラスの感情ではなく、マイナスの感情、恐怖を抱かせる。
     この子が、こんな顔を出来たなんて。私は何よりも、そのことに驚いた。私は菊の笑った顔も泣いた顔も怒った顔も知っている。けれど、感情の無い表情を見たことは、一度もなかった。
     動揺して声が出ない私を、菊が小首をかしげて見つめてきた。
    「何でもない。あとどれくらいかかるの?」
    「ん、あとちょっとだよー」
     菊の言葉に少し安心して頷き、また前を向いて歩き出した。
  • 27 かむお id:DRufR840

    2011-10-11(火) 19:34:08 [削除依頼]
     ファストフード店を出てから、数十分は歩いただろう。私一人で帰るのはもう殆ど不可能であろう場所まで来た。距離的な問題ではない。私の知らない道を行く度も通った所為だ。幸い現在どの方角のあたりに居るのか、だいたいは理解できている。
     ここで一番不思議なのは、私の知らない道を迷うことなく歩いていく菊だ。菊の親戚がこのあたりにいるとは聞いたことがないし、接点など無いだろう。案外私が知らないだけであったのかもしれないが、それにしても慣れ過ぎている。
     いや、違う。菊を観察していて、私は違和感を抱いた。彼女は、まるで何かに引き寄せられるかのように歩いている。確かに自我ははっきりと持っているのだろう。泥酔者のような千鳥足とは格段に違う、はっきりとした確かな足取りをしている。でも、おかしい。元々信号の少ない道が多いが、彼女は立ち止ろうとせずに歩いていく。まれに赤信号になっていても、一瞬足を踏み出そうとするのだ。そのことに気がついて、私は得も言われぬ恐怖を感じた。一体、この子はどうしてしまったのだろうか。それとも、これは杞憂なのか。その時の私は、その思いをただ一人胸に抱えてついていくことしかできなかった。
  • 28 かむお id:nQpsagI.

    2011-10-15(土) 10:01:10 [削除依頼]
     六章 飛沫と嵐の前兆

    「着いたよ」
     立ち止った菊の言葉に浮かんだ言葉は、「やっとか」でも「疲れた」でもなかった。安堵するには、まだまだ早い。だって、だってここは。
    「……池」
     そう、池。眼の前には、 青緑色をした濁った水の張られた池があった。
     住宅街から一歩はみでた場所。周りは森、というには木々の少ない、林とでも言うべきか。誰かの土地なのだろうが、特にこれと言った注意書きも柵などもなく、普通に入ることが可能だ。
     でも、そんなことはどうでもいい。私は現在置かれた状況に、少々の驚きは感じていたものの何よりもあるのは呆れ、だった。きっと、いつもとどこか違う菊になれてしまった故の感情、なのだろう。
    「こんなとこに何の用があんの?」
     眉間にしわを寄せ、菊に尋ねる。
     菊は、何も答えずに隣にいた牡丹の方を向いた。その瞳の色に、私は息を呑む。この池の水の色に似た、淀んだ暗い色の瞳。場所がただ暗い所為ではない。それは、生気が見えないような、精神的な暗さ。
     それに合わせるかのように、菊の方を向いた牡丹の眼も、どこか先程までとは違っていた。二人の眼を見て、私はようやく気がつく。それは、ただ瞳の色が暗く沈んで見えるのではないのだ、と。二人は、別の人間なのだ、と。瞬きをしている間に誰かに乗っ取られたかのように、二人は菊と牡丹の皮をかぶった『何か』だった。きっと、私じゃなければ気がつかない変化だろう。この一日弱を二人と過ごして、過去の二人も知る私ではないと。
    「分かってるでしょ。止めないでね」
     菊の不可解な言葉も、不思議と気にならない。これは、テレビドラマだ。何か普通ではないことが起きる、とあやふやながらも分かっていながらテレビドラマを見る気分に、よく似ている。
    「や、だ、……だめ、だ」
     答えた牡丹の言葉は途切れ途切れで、無理して声を出しているようにも聞こえる。その顔もどこか悩ましげだ。菊は牡丹に「だめ」と言われたのにもかかわらず、にっこりと笑む。傍観者の私にもわかる。菊はこれから、何か、あまり褒められないような、そんな行動を起こすのだろう。きっと私は、ただそれを見ているだけ。不甲斐ないという思いは、当時私は少しだけ抱いていたのかもしれないが、私にはどうしようもなかったのだ。私は、蚊帳の外に居る傍観者だから。
  • 29 かむお id:nQpsagI.

    2011-10-15(土) 10:01:39 [削除依頼]
     私の眼の前で、液晶画面の向こう側のような光景が広げられる。
     菊の細い腕が伸びる。
     その細い指が掴む。
     牡丹の少し筋肉の付いた腕を掴む。
     接近する二人の顔。
     茫然として、為されるが儘の牡丹。
     菊が口角をあげ、嘲笑する。
     対照的な二つの顔が交差して。
     菊が、横に跳んだ。
     長い黒髪が、うねり、揺れ、空を舞う。
     全てを惹きつける、中心に菊がなり。
     抗う術もなく、落ちていく林檎に牡丹がなり。
     菊が落ちれば、牡丹も落ちる。
     淀んだ、波音の立たない池に。
     二つの影が映る。
     影は大きくなり、実態となす。
     大きく腕を広げ、すべてを受け入れるようにして、牡丹を巻き添えにして。
     菊は、池に落ちた。
     牡丹と池に落ちた。
     しぶきがあがり、二人を呑みこむ。
     菊の顔は、幸せに満ちていた。
     私にも、水がかかる。
  • 30 かむお id:U4uu45h1

    2011-10-22(土) 15:48:56 [削除依頼]
     七章 風
     
    「な、何してっ……」
     出てきた言葉は、それだけだった。出そうとしても、喉につっかえて何も出てこない。なんということ。私はどこまでも傍観者だ。
     池はそれ程深くなく、立てば腰のあたりまでだろう。人は深さ十五センチメートルでも溺れてしまうというが、二人は溺れることもなく、ゆっくりとした動作で身を起した。どちらもびしょ濡れで、髪や服が張り付いている。
     何も言うことが出来ない。私はただ茫然としていた。一体、彼女は何をしたのか。何がしたかったのか。頭を働かせようとしても、同時に私はそれを拒否していた。
     何もできない私の前で、再び二人の劇は始まる。
    「菊」
     濡れそぼった彼は、彼女を見て愕然として囁く。
     菊。私は現状に戸惑いながらも疑問を抱く。彼は菊、と彼女を呼んだ。確かに、そう、呼んだ。どうして。
     ここで混乱される方もあるかも知れない。無論、私であれば何年経とうとすぐに分かるであろう。けれど案外、二人と何ら面識のない方もおられるかも知れない。その方々の為に、少し整理して書き起こそう。
     彼女、彼、とこの章で表しているのは当然菊と牡丹のことである。二人をこの作品中で菊、牡丹と称しているには理由がある。それは二人と密接に関係してはいるものの、本質とは一切関係ない。彼女が菊の花を好んでいたわけでも、彼が牡丹の花を携えていたわけでもないのだ。それについては、今後読み進めていくうちに明らかになっていくだろう。今はただ、二人はこの、池に飛び込んだ瞬間に『菊』と『牡丹』になった。そう頭の片隅にでも置いておいていただければ結構だ。
     一方で、その時の私は何も分からず、ただ傍観するだけ。
  • 31 かむお id:U4uu45h1

    2011-10-22(土) 15:49:22 [削除依頼]
    「久し振り、牡丹」
     彼女は、まるで懐かしい友に会ったような口ぶりで彼に微笑む。その顔に、畏怖の念さえ感じる。彼女は私の知る限りで初めて、牡丹、と彼を呼んだ。濡れた髪も体も大して気に止めない様子で、彼女は台詞を吐き続ける。
    「いったい、何年振りかしら。随分と景色は変わったわね」
     何を言っているんだ。余りに不可解で、形容量を超えた台詞に私は涙が流れそうになった。悲しさからか悔しさからかは分からない。混乱も通り越した感情だ。
     牡丹はどうかと言うと、私を救ってくれることなどあるはずもなく、未だに茫然としていた。もう、もう。一体、何だって言うんだ。私は、私は何もできなかった。私の行動力は、すべて彼女に、菊に吸い取られてしまっていたかのように、私はただ無力で、菊の瞳は爛々と輝いていた。どうして。
    「怒っているの」
     訝しそうに眉をひそめ、彼女が尋ねる。彼ははっと我に返り、そして普段なら見せないような、真剣に怒っている顔になる。
    「当たり前だよ。僕はまだいいのだけれど、彼女まで巻き込んでしまうなんて」
    「彼女? ……ああ」
     私を向いた彼女は、心底どうでもいい、という様子で鼻で笑う。
    「陽炎の君まで来られたなんて」
     私は、その陽炎の君、というのが誰だかはわからない。ただ、菊の口ぶりからしては彼女にとってあまりよい人間ではないのだろうな、とは窺える。陽炎の君。どこか高貴そうな雰囲気が感じられるが、何者なのだろう。
  • 32 かむお id:U4uu45h1

    2011-10-22(土) 15:50:10 [削除依頼]
    「菊」
    「何。そっくりでしょう。私と貴方の間を邪魔して」
    「あ、あ、あの」
     ようやく声を出した私を、二人が振り向いた。注目されて、浮かんでいた言葉もどこかへ逃げて行ってしまう。しっかりしなくては。
    「聞きたい事がいっぱいあるけど、その前に、移動、しませんか」
    「移動?」
     彼女は首を傾げてから、周りを見、自分を見た。その仕草はあどけない子供のように愛らしく、無垢で、違和感に満ち溢れている。
    「そうだね。いつまでも池の中に居ても仕方がない。とりあえず、今のところはどこかに行こう」
     未だ首を傾げる菊を置いて、牡丹は先ほどまで茫然としていたのにもかかわらず素早く理解し、頷いた。一度状況になれれば割り切って事を進められるその性格は、私の知っている彼のものではない。牡丹は携帯電話を取り出すと、まだ使えるか確認してから清常に電話をかけた。複雑な思いを胸に抱えながら、私は一人ぼっちの気分で永遠にも思える時間を待つ。混乱しすぎた頭は冷静さを求め、冷静になりすぎた頭は働かなくなる。その時の私の頭は、働くのをやめて、ただただ平静を求めていた。
  • 33 かむお id:uB9BYlt1

    2011-10-25(火) 19:38:36 [削除依頼]
     八章 車と鼠
     
     仕事中だったという清常は呆れ果てた顔で私たちを見てくる。八の字眉毛はいつもの比にならないくらいに垂れ下がり、今にでもしゃがみ込んでしまいそうだ。そのあまりにも哀愁漂う顔は今でもしっかりと覚えている。ああ、あの時携帯のカメラでその姿をしっかりと移しておけば後々苛めて楽しめたというのに。
    「遊んでたら池に落ちたって、落ちたって……」
     はあ、と深い溜息。私はまだ濡れたままの二人から少し離れたところで、口には出さないが清常に同情した。池に落ちたという事実については、私の方がもっとショッキングな本当の事実を知っているので憐れみは持たないが、彼はこれからこの濡れ鼠二匹を一か月前に買ったばかりの車に乗せてやらなければならないのだ。それも、記念すべき初めての車に。いくら中古車であるとはいえ、可哀想で仕方がない。だからといって私は彼に何かしてやることなど到底ないのだが。
     とにかくこれ以上風に晒していると二人揃って風邪をひいてしまうだろう。もう夏とはいえ、全身が濡れてしまっているのだ。濡れ鼠二匹を後部座席に並ばせ、私を助手席に導き、数時間前よりも幾分も低いテンションで清常は車を発進させた。
    「なあ」
     前方のガラス越しに何の気なしに外を見ていると、突然横から声をかけられ、私は少々驚きながら清常の方を向いた。彼はきちんと前を向いて運転しながら私に問う。
    「あいつら、どうしたの?」
     言われて、私は後ろを振り向いた。無言で俯いている二匹の鼠。成程、疑問を抱いても不思議ではない。しかしそれは、私が一番知りたいことだ。そうですね、と相槌を打ちながら言い訳を必死に考える。誤魔化すことがいいことか知らないが、面倒なことは避けたい。
  • 34 かむお id:uB9BYlt1

    2011-10-25(火) 19:40:07 [削除依頼]
    「なんか急にお宅の弟さんがテンションハイになってしまわれたんですよ。で、優しい優しいうちの子がそれに乗っかってあげたと。しかし調子に乗りすぎた挙句池ポチャしてしまい、二人とも反省。そんなとこですかね」
    「……」
     無言の返事に、私は動揺してしまう。やはり、乱暴すぎたか。もう少しリアリティのある言い訳を考えなければ。私の全脳みそをフル回転させるほど、私は悩んでいた。不安な気持ちがそうさせたのだろう。どこに追いやっても空回りしてしまうこの気持ちを、私は自分の脳みそに注ぐことで何とか処理していた。そうでもしないと、自分を破滅させてしまったかも知れない。
     私の予想に反して、清常は納得した様子だった。無言だったのはただ私が早口で言ったところどころ意味の分からない言葉を噛み砕いて考えていたのにすぎなかったらしい。自分の早とちりに軽率だと戒めると同時に、混乱していたんだな自分、と数分前の自分に憐れみの念を抱く。
    「いろいろあったんだね」
    「そうですね。いろいろ……いろいろ、ありました」
     そう答えながらも、自分で違う、と分かっていた。いろいろあったんじゃない。まだ、私の形容範囲を超えるいろいろが行く手に待っている。
     ああ。果たして私は、彼は、彼女は、一体何なのだろう? 暗闇行きの車の中で、不明確すぎる未来を一人嘆いていた。
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