クレイジー・ワールド336コメント

1 遙 id:EFvZOS5/

2011-08-30(火) 12:02:34 [削除依頼]
「こんな世界、終わってしまえ」 ――  憎い。  彼女が生まれて初めて脳裏に浮かべたのは、そのたった二文字の言葉だった。  憎い、あの「楽園」が。  己の生まれ故郷は、今も空中で存在感を放っている。空中都市――楽園。地面の泥臭さから、海の塩気から永遠に逃れる事ができる、神聖なる場所。しかし、彼女にとっては何の価値も無い、ただのガラクタである。自分を守ることしか知らない、哀れな人間達の巣窟である。  彼女は虚空に手をかざし、そして握りつぶした。  盲目の紫眼と共に。 >>2  ご挨拶
  • 317 桐生遙 id:f0kWWe./

    2012-03-27(火) 12:17:15 [削除依頼]

     気がついたら。そのような自然さだった。
     急にバランスがとれなくなり、碧はふらりと地面に倒れこむ。体に異常は感じられず、彼は自分の状態を理解するのに少しばかり時間を要した。
     暗闇の中、目を細めた彼は原因に気づく――義足が、無い。厳密には、義足の関節の部分が破壊され、もう使い物になっていないのだ。ソリストの襲撃があり、クレイヴ達と離れ離れになってから、碧はもう何度か戦闘を経験している。その際に相手の銃弾を受けたと考えるのが一番現実的だった。義足は移動の助けになるだけであって、足本来の感覚を蘇らせるものではない。放たれた銃弾が義足に当たっても、気づかないのは仕方の無いことだった。

    「く、くっそぉ……」
     
     碧は義足に備え付けられていた自前の銃を手探りで掴み取り、何か立ち上がれるような支えはないかとこれまた手で探る。運よく彼のいる場所はシェルターの端だったらしく、壁を伝い、彼はゆっくりと立ち上がった。
     シェルター内では、襲撃直後ほどではなかったものの、未だ銃声や剣の交じり合う音、喧騒が絶えず響いている。いつ自分が狙われるか分からない、そんな恐怖はとうに克服したと彼は思っていたのだが、足が一本無くなるだけで、碧の心に不安が湧き出し、収まる事を知らない。心臓の鼓動が高まり、額からは冷や汗が流れた。
     碧は壁に体を預け、しばし荒い呼吸を整える。気配を漏らさないよう、最新の注意を払いながら。
  • 318 桐生遙 id:f0kWWe./

    2012-03-27(火) 17:10:26 [削除依頼]
     その時、ふと彼は少し前に言われたとあることを思い出す。

    『地下シェルターにはね、基本明かりが洩れちゃうから電気なんて必要ないんだけど、長期戦用に一応明かりも用意しているんだよね。相良じゃちょっと心もとないから、君にその場所を教えよう』
     
     地下シェルター最北端の壁。スイッチはそこにあると、千里は彼に教えた。この暗闇から抜け出すことが出来れば――住民達は恐怖から解放され、これ以上闇討ちで命を落とす仲間がいなくなる。出入り口の方向から現在地をある程度確認した碧はぐっと息を吸い込み、壁を伝って一歩踏み出した。いつもの二分の一に満たないスピードでしか進めない自分の足に嫌気が差したが、元々自分の足はこうなんだと踏ん切りをつけ、また更にたどたどしく進む。
     歩いていくうちに、多くの死体を彼は目にした。仲間であったり、敵であったり――はたまた、それすら判別がつかなかったり。中には見知った顔もあり、まるで心臓を切り裂かれるかのような思いだった。しかし、彼は止まる訳にはいかない。自分にはやるべきことがある、と何度も心の中で繰り返し、立ち止まりたい衝動を無理矢理押さえ込んだ。
     二本の足があったなら、この半分以下の時間でたどり着いただろう最北端に、碧はやっとのことで着いた。息はとうに上がり、額を拭うと汗でべっとりとしていた。
  • 319 桐生遙 id:1PjX/To.

    2012-03-28(水) 15:39:34 [削除依頼]
     碧は最後の力を振り絞り、手探りで探し当てたレバーを思いっきり引く。暗闇に包まれていたシェルターは一瞬にして光に抱かれ、あちらこちらから安堵のため息が聞こえた。
     自分の役目は果たされた。恐怖心とプレッシャーから解放された碧は、自然と体の力が抜けていくのを感じる。
     ああ、と小さな、しかし重たいため息が、ゆっくりと碧の口から吐き出される。光で映し出された己の右足は、不自然な空間を残したままだ。
     ――この前、点検してもらったばかりなのに。また千里に嫌な顔されるだろうなあ。彼は脳に浮かぶ白衣の少年が眉間に皴を寄せ小言を飛ばす様をあまりにも容易に想像できたため、口元にふと笑みが灯る。

    「……また会えたら、の話だけど」
     
     千里や相良の今の顔は想像に難くない。だが碧にはどうしても、彼らの未来の姿が――この世界の未来が――想像できないのであった。
  • 320 桐生遙 id:30P7WXB1

    2012-03-29(木) 13:46:24 [削除依頼]

     がたん、ごとん。
     錆びかけた車輪をひたすら酷使する汽車のように、楽園はゆっくりと、しかし着実にどこかへ移動する。
     未だ壊れた笑いが口から零れているナルシソは、痙攣する腹を押さえながら椅子を回転させ、ソニアと向き合った。

    「はは、これ、どこ行くんだろうね!」
     
     そして彼はまた嗤う。彼らを止められるのは、もう誰もいない。
     話しかけられた少女は曖昧な笑みで返す。ナルシソはそりゃソニアちゃんには分かんねぇよな、と投げやりに呟いた。「だって俺すら分かんないしなっ」
     ナルシソは笑いでよろけながらも立ち上がり、部屋の窓を開ける。楽園が移動しているためか、部屋の中に風がぶわっと入ってきた。その風と共に、彼の髪もなびく。ナルシソは小さく歓声を上げ、体を乗り出した。

    「すっげー! 見てよソニアちゃん、人民共が逃げ回ってるぜ! こりゃあ見ものだなあ」
     
     うへへ、と気味の悪い笑みで、ナルシソは少女を呼ぶ。ソニアは何も口にせず彼に近づく。
     ――異変は、その時起きた。

    「……へ?」
     
     音はしなかった。聞こえるのは楽園が移動する音と、人民達の叫び声と――ナルシソの、素っ頓狂な声。
     今まで生きてきた中で感じたことの無い、何かに抱かれるような、そんな感覚が彼の体の全てを蝕んだ。ソニアがナルシソの背中を、少女が出せるほんの小さな力で押したのだ。彼の小さな体は宙に放り出される。
     
     ――俺は、落ちる? 俺は……死ぬ?

     そんな自分自身に投げかけた疑問に答える間もなく――彼は落ちていった。十秒も経たないうちに、ぐしゃっとまるで果実が地面に落ちたような音がソニアの鼓膜にゆっくりと触れる。民衆の混乱も増したようだ。
     
     ばいばい総帥、私にここまで利用されてくれてどうもありがとう。

     ソニアの目は、至って冷静だった。

    ――
    ワードに書き溜めている方が一応完結したので、更新スピードが速くなります。
  • 321 桐生遙 id:30P7WXB1

    2012-03-29(木) 14:13:14 [削除依頼]

     相良はクレイヴを支え、ふらふらと――しかし着実に前へと進む。目指すは、紫月を預けた少年の場所。あそこならここよりは安全だろう、と考えてからの行動だった。
     だが、暗闇の中細い記憶の糸を辿ってもとの場所に戻る事は、想像以上に難しいことだった。迫る敵、未だ恐怖に震える仲間、そして一歩先も予測がつかない真っ暗な世界――。先ほどまではもう少し気が楽だったが、怪我人を運ぶ責任が伴うとなると、一歩踏み出すことさえ躊躇いを覚えた。

    「おい、生きてるか」

     相良はそっけない物言いで、小刻みに呼吸するクレイヴに話しかける。ほんの数時間前にこんなことを問えば、彼は笑って憎まれ口を叩いただろう。しかし、体の様々な部位に損傷を受けた今では、物を考える事すら難しくなるのだろうと相良は思う。少年は再度おい、と彼に話しかけ、軽く揺する。

    「え、あ……。す、みませ、んね……、少し、気が遠くなっていました」

     闇にひっそりと浮かぶ彼の瞳は、ほんの微かな光を放っていた。相良は無言で頷き、少し大きめの声で言う。

    「あと少しだ、耐えろ!」

     安い気休めにしかならないような確証の無いものだけれど、なるべく短く簡単な言葉を選んだのは、相良なりの彼に対する配慮だった。クレイヴはこくん、とかぶりを振り、相良はまた歩き始める。
     相良がクレイヴに話しかけてから、三歩目を踏み出した時だった。彼の目に、白い何かが浮かび上がったのだ。相良はとっさに目を擦る。その次の瞬間、彼の周りには闇ではなく、光が渦巻いていた。
     明るい、と彼は思わず呟いていた。ほんの一時間ほど前には当たり前のように浴びていたそれが、酷く久しぶりのように感じられる。暗闇に慣れきった目にかなりの刺激が走ったが、何秒か目を瞑っていたらすぐに元のように見えるようになった。
     相良は横目で負傷した彼を見る。クレイヴも相良と同様、この状況に目を丸くしていた。

    「お迎えが来た、って訳じゃ……無さそう、ですね」

     当たり前だ、相良は冗談の混じるクレイヴの呟きに言葉を返す。「お前と一緒に死ぬなんて御免こうむる」
     これでやっと思うように剣が振るえる――彼の心に、一筋の希望が宿った。だがしかし、それは敵にとっても同じことだ。彼は暗闇の時以上に体を強張らせ、不意の戦闘に備える。
  • 322 桐生遙 id:30P7WXB1

    2012-03-29(木) 14:40:19 [削除依頼]
     そんな矢先。
    「待て」正面から、彼らに声がかかった。「そこの男の子供。支えている男をこちらに渡せ」
     相良の前に立ちはだかったのは、青の上に真っ赤な色が存分に塗りたくられた制服を身につけた、一人の男だった。

    「ソ、ソリストか……!」
     
     相良はギギ、と歯軋りする。男の子供、と揶揄され、彼の頭は普段より血が上りやすくなっていた。「この男に何の用だ! 目当ての女は連れて行ったんだろう!?」
     ソリストは無表情だった。そして淡々と、まるでただの業務連絡をするように、必要最低限の言葉を述べる。

    「お前が今支えているのは、我々楽園政府アブソリューティズムに籍を置く者だ。楽園に対する裏切り行為により、楽園に連行し即刻罰を与えなければならない」
     
     ぐ、と彼は押し黙ってしまった。ソリストが口にしたことは、紛れもない正論だったからだ。だが、彼もこのまま黙ってクレイヴをソリストに渡すほど馬鹿でも阿呆でもない。相良は必死に策を巡らせ、この状況を打開しようとする。

    「どうした、早く渡せ。その男はお前の敵だ、何故迷う必要がある?」
     
     そうだ、敵だ。こいつは敵なんだ――今更ながら、相良はふと再確認する。自分達をここへ陥れた張本人の下っ端で、国全体の目的である楽園の滅亡の最も大きな障害で、敬愛する紫月さまが最も憎む人種だ。そうだ、このソリストの言う通りではないか。コイツを渡せば自分達はまた一歩目的に近づいたことになるし、紫月さまも喜ばれる――、
     相良はすっと前に出た。ソリストは小さく頷く。
     
     ――だけど。

    「コイツはソリストだ。それはどんなことをしても曲げられない事実だよ。だけどな、こいつは疑われた中でも自分の目的を堂々と語った。自分が死にそうになりながらも仲間を守った。俺は」
     
     相良はクレイヴを抱えながら、腰の剣を取る。

    「仲間を必死で守る奴を、疑いなんてしない」
     
     愚かな、とソリストは吐き捨てた。いつもならその言葉に激昂し掴みかかっている相良だが、今は落ち着き、冷静に敵を見据えている。
  • 323 桐生遙 id:30P7WXB1

    2012-03-29(木) 14:57:11 [削除依頼]
    「死に損ないを背負って、一体何が出来るというのだ」ソリストは懐から黒く光る拳銃を取り出す。「子供。お前を楽園反逆者に加担したとして、敵とみなす。今更許しを請うなど遅いぞ」

    「誰が敵なんぞに許しを請うか。阿呆め」
     
     彼の目に悪戯な光がそっと差し込んだ。お前ごときが相手ならこのくらいのハンデが丁度良い――そう言いたげな瞳だった。

    「いざ、参るッ!!」
     
     彼の言葉を合図に、戦闘は始まった。相良はクレイヴを支え細心の注意を払いながら、片手で剣を構える。だが、彼は内心焦っていた。敵にあんな大口を叩いたのはいいが、普段両手で構えている剣を片手だけで支えるのは、長期戦になると持たない可能性があるのだ。実際、彼の腕は剣の重さにより小刻みに震えている。それに、剣の長所である接近戦に持ち込むには敵の懐に飛び込むのが一番なのだが、クレイヴを支えているため彼にはそれが出来ない。どうしたら良いものか……、彼の額に、つるりと冷や汗が流れる。
     しかしこのまま突っ立っていたら、敵の銃弾を浴びクレイヴもろとも蜂の巣である。一か八か、相良は周囲を見回し敵がいないのを確認し、クレイヴをゆっくりとその場に下ろした。そして――狙うは、敵の首。

    「うおおおおおおおッ!」
     
     雄叫びを上げながら、相良はソリストの懐目掛けて駆ける。光が照らすこの場所で、敵を見失う事はまず無い。足を踏み出すたびに力を振り絞り、ほんのコンマ一秒でも速く敵の下へ行き、少しでも戦闘を有利にしたかった。
     だが、一瞬遅かった。ソリストは彼の行動を予測していたかのように、ふわりと身を翻し避ける。相良は敵の首を的確に狙うが、ソリストは彼の剣が丁度届かないような距離を保ち続けており、一向に当たる気配が無い。
     それが何度続いただろう。比較的重量のある相良の剣は彼の手首を疲労させ、彼の息は絶え絶えだ。しかし、彼に対してソリストの息は乱れていない。相良は敵の首を目掛け剣を振るうことと敵をクレイヴに近づけさせないことに精一杯で、段々と動きに隙が見えてきた。
     その隙を見逃すほど、ソリストは甘くなかった。ふわりと避けたソリストにつられ体勢を大きく崩した相良の背中に、ソリストは強い蹴りを入れる。ぐはっ、と荒い息と共に、彼の口の中には鉄の味が広がった。
     あまりの衝撃にとうとう相良は動きを止め、倒れこんでしまった。その隙に、ソリストは拳銃を彼のこめかみに突きつける。彼の頭に広がるは、絶望のみ。

    「これで終わりだ。無駄な足掻きだったな」
     
     今すぐこの拳銃をなぎ払わなければ死ぬ。彼の本能がそう告げたが、相良の体は疲労と恐怖で思うように動かない。くそ、口の中で、思い通りにならない状況を嘆いた。
     するとその時。彼のこめかみに当てられた拳銃がずるりと落ちた。その異変に気づいた相良は、ソリストを見る。敵の頭から血が勢いよく流れ、ぽたぽたと相良の頬にかかった。
     最後の言葉も残さずに、ソリストは倒れていった。焦点の合わない瞳は、現実世界を見つめてはいなかった。
     相良は力を振り絞って上体を起こし、周囲を見回した。おそらくソリストは拳銃で撃たれ死んだのだろう。どこかに拳銃を構えているものは――、
     
     いた。
  • 324 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 09:43:55 [削除依頼]
    「お前……っ!?」
     
     拳銃を構えていたのは、クレイヴだった。立つまでは至らなかったのだろうか、両膝で体を支えている。相良は信じられないように目を大きく見開き、血の気が薄い彼を見つめる。クレイヴは小さく笑った。

    「……最期に一人、助けられて。君の気高い命を救う事が出来て、良、かった、で……す」
     
     改めて光の下で相良はクレイヴの顔を見る。それは病的なほど青白く、生気が感じられないほどだった。そんな顔色で膝に支えられながら体勢を起こし銃の引き金に手をかけたクレイヴの精神力は、相良には計り知れない。
     だが、クレイヴが立っているのは精神力のお陰であり、傷が完治した訳ではない。すぐに体勢を崩し、地面に倒れこむ。
    「おい!」相良は声を荒げ、言う事を聞かない体に鞭を打ち、よろけながらも立ち上がる。すぐさま彼の元へと駆け寄り、強引に肩を揺すった。

    「おい、おい! 何をしているッ!?」
     
     相良は未だクレイヴが何故こんな無茶をしたのか分からない。何故ネバーランドの中でも大して交友の無かった自分を、命を懸けてまで守った意味が分からない。
     そんな少年に、クレイヴは言葉を途切れさせながら言う。

    「原因は……全、て、私にあるん……ですよ。私の……ちっぽけな私情で、動かし、て良いような……ものでは、無かった。だから、私は……死んで、償うべきだ」

    「違うっ!」彼の空中を漂うような瞳を捕まえ、相良は真正面から否定した。お前は何も分かってない、と吐き捨て、彼は続ける。

    「『死んで償う』など、ただの言い訳だ――逃げだ! そうだよ、お前は過ちを犯した。だからこそ、お前は死んではならない! 生きて償えッ!!」

     相良の言葉に、クレイヴは恥ずかしげに瞳を落とす。私は弱い。クレイヴは主観的であり客観的な言葉を吐き、ゆっくりと目を閉じた。
  • 325 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 10:33:20 [削除依頼]

     騒ぎ、暴れ、楽園は混沌にまみれていく。
     若干十歳にしてこの楽園を治めた天才、ナルシソ・ポラス。だが、華やかな人生とは真逆に、死に際は実にあっけないものだった。

    「あー、つっまんないのー……」
     
     あの人だったら、もっと面白いものを見せてくれるかと思ってたのに。
     自分の行動に対し後悔はしていない。だが、ソニアの頭にはぽつぽつと、上司に対する失念の意が浮かび上がってきた。せめて、あと十年。十年くらい生かしておけば、ソニアをもっと楽しませるような、更に「狂った人間」になっていたかもしれない。
     でもなあ、ソニアはほんの数分前までナルシソが身を乗り出していた窓から外を眺め、呟く。

    「あの優しそうなお兄さんがここまでやっちゃうとは、流石の私も分かんなかったなあっ!」
     
     少し楽しそうに顔を綻ばせ、彼女は窓から身を乗り出す。未だナルシソの死体は地面に打ち付けられたままだ。
     
     ――クレイヴ・リカナーっていったっけ。
     
     彼女はおぼろげな記憶から、一人の青年の名を取り出す。あの男がやることは、ソニアに毎回衝撃を与えた。楽園に対する裏切り行為の数々、精神操作を行っても屈しない精神力――どれもこれも、彼女にとって興味深いものばかりだった。

    「死んじゃったのかなあ」
     
     楽園に放たれたソリストはざっと百を超える。そのうちの一部が先ほどリディアという少女を連れに戻ったが、残りは今頃箱庭の子供達を手にかけているのだろう。ソリストには感情というものが無い。つまり政府の人間からすれば、ただの都合のいい人間兵器だ。彼らは楽園政府に反旗を翻した強者たちで構成されている。一人ひとりの戦闘力に問題はなく、むしろ強すぎるほどだった。
     そんな彼らがざっと百人ほど。いくら国として成り立っている箱庭とはいえ、彼らを相手にするのは辛いだろう。もしかしたら既に壊滅状態かもしれない。もしそうであったら、彼女が目にかけているクレイヴ・リカナーが生きている確率も絶望的だ。
     ソニアは眼鏡をくいっとかけなおし、目を細めながら、今度は楽園ではなく遙か下の箱庭を覗くようにして見る。だが、いくらこの眼鏡の度が強くても、そこまでは見えなかった。
  • 326 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 10:59:41 [削除依頼]
     彼女はふう、とため息をつく。――ソニアの目的が達成されるのは、近い。
     ソニアは窓から身を潜め、今度は先ほどナルシソが使っていた機械の前に腰をかける。多少頭を捻りながらもその構造をすぐに理解したソニアは、先ほどのナルシソ以上の速さでキーボードを叩く。すぐさま画面は彼女の打ち出した文字で一杯になり、ソニアは最後にたんっとエンターキーに触れた。するとキーボードの隣が開き、その中からマイクが出てきた。どうやら拡声器のようだ。彼女はそのマイクに口を近づけ、すうっと息を吸う。
     吐き出された言葉は、毒に等しかった。

    『はーい皆さん! ちょっと聞いてくださいねっ、楽園政府からのお知らせですよーう。ただ今楽園は、総帥ナルシソ・ポラスの手により、この大きな空を自由に……って訳じゃ無いんですけど、移動してます! これで我々楽園人民は更なる力を手に入れました!』

     彼女は誰もいない部屋で、一人笑い続ける。

    『――ですがしかし! その総帥閣下はたった今お亡くなりになられてしまったんですよう。ほら、政府本部の入口の近くに男の子の死体があるでしょ、そちらが間違いなく総帥閣下です! え、嘘だって? 総帥はもっと年をとってたはずだって? それなら何故私がこんなところで嘘を吐く必要があるのか、しかとお考えくださいー』

     楽園中に響き渡るその声は、先ほどとはまた違った悲鳴を生んだ。言葉遣いも声帯も明らかに幼い少女そのものだ。だが、そこに含まれる言葉一つひとつが楽園に住む全員の心を蝕んでいく。それはまさに死をも感じさせるような毒だった。

    『つまり、私は真実しか言わない聖人ってことですねー。あれ、違うっけ? まあいっか。なので、私はこれから、楽園のこれからについてお話ししようと思いますー』

     黙れッ! ビルの中だろうか、激昂した男性の声が彼女の耳に届く。だが彼女の口から洩れる毒は留まることを知らない。むしろ彼の叫び――その嘆きが、彼女の毒の濃度を更に上げた。
     ソニアは淡々と、一言一言を舐.め回すように、言葉を紡ぐ。

    『楽園はあと数十分で箱庭のとある場所に着きます。そこには何と、楽園から箱庭に落とされた子どもたちの王国があるんですよう。子どもって凄いですよねえ、何をしでかすか分かったもんじゃない――あ、私もか。しかし、彼らは戸籍上もうこの世にいない人間です。皆楽園に恨みを持ち、いつ私達の生活を脅かすか分かりません。なので、そこに着いたら――』
     
     毒は、致.死量に達した。

    『この楽園を墜落させて、彼らと一緒に死.にましょうっ!』
     
     ――全ては、終わる。
  • 327 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 11:23:04 [削除依頼]

     最後の一人の首に、スタンガンを当てる。ふぎゃっと小さな悲鳴を上げ、ソリストは無様に倒れた。

    「こりゃあ、明日は筋肉痛だなあ」

     明日がくる保障なんて無いけど。そんな皮肉めいた一言を心の中に押しとどめ、彼は千里さん、と背後からかかった部下の声に「何?」と応答する。
    「千里、さん……」もう一度、部下は彼の名を呼ぶ。恐怖が混じった声の調子からして、明らかにおかしかった。研究員の殆どは性格に難を持った者ばかりであり、千里を呼ぶ彼も紛れも無くその一員である。ここまで純粋に感情を表すなど、普段の様子からしてあり得ない。そう察した千里は、鋭い目つきで彼に続きを促す。
     すると研究員は、カタカタと震えながら、研究室に少ない窓の外を指差した。千里は彼の指を追う。

    「…………!」

     千里は最初自分の瞳から入った情報を信じる事が出来ず、目を擦った。しかし、それは確かに存在していた。
     ――空中都市、楽園。かつて彼らの故郷であった場所であり、同時に恨みの対象でもある場所。
     この場にいる研究員の殆どがその目で確認したようで、彼らの顔は一気に蒼白となる。先ほどまで戦闘の喧騒にまみれていた研究室付近に、沈黙が押しかかった。
     とにかく。千里は混乱する脳を無理矢理まとめ、一つの結論を導き出す。

    「僕は紫月さまに知らせてくる! 君たちはここで待っててくれ」

     千里は駆け走る。その表情は、いつにもなく真剣だった。
  • 328 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 15:32:56 [削除依頼]
    ○ 
     自分の声が届いているのだろうか――相手は目の前にいるのに、そんな些細なことが彼には分からない。知る由もない。

    「お、れが……死なせない、からな」
     
     相良は棒のような足で、またクレイヴを支える。足を踏み出す度に重心が崩れそうになったが、彼はしっかりと、一歩ずつ確実に前へと進んでいく。
     相良が歩き始めてから数分。方向感覚を取り戻した彼らは、想像していたよりも早く目的地に着くことが出来た。少年の瞳に映るのは、守るべき主君。相良は安心で力が抜けるのを必死に堪え、半分倒れかけながらも、彼女の元へ跪いた。その物音で気が付いたのか、美しい紫色の瞳が彼を捉える。
     紫月さま、そう彼は声に出したつもりだったが、擦れてしまいそれはただの呻きと化す。相良は深く息を吸い、声に出そうとしたその時――、

    「相良ッ!!」

     皴だらけの白衣が、相良の目に飛び込んできた。その表情は、いつにもなく青い。目線で千里の言葉を促すと、白衣の少年もまた、紫月の前に跪いた。
    「ご報告致します、紫月さま」そう早口で前置きした千里は、一秒を惜しむように続ける。「我ら箱庭ネバーランドの上空に……楽園が、現れました。おそらく――」

    「このネバーランドを、直接攻撃するつもりだな」

     千里の推測を遮るように、紫月は言った。彼らにとって――ネバーランドに住む子供達全員にとって――残酷な、言葉だった。
     ネバーランドを建設するにあたって、楽園にネバーランドの存在が露見してしまうのは致命的なことだった。それゆえ、ソリストから子供を回収する際にも相手に見つからないよう慎重に行動し、見つかってしまった場合は口止めもしてきた。いつ、どのような時に楽園に存在を把握させてしまったのか――思い当たるのは、一つだけ。
    「周、か」千里はあの狂ったとしか言いようの無い少女の名を呼ぶ。彼らを包む冷たい空気が、彼の言葉を肯定した。
     彼らの心に、今更「憎い」なんて感情は生まれなかった。あるのはただただ大きく広がる喪失感のみ。喪失感は自然とその場の沈黙を生む。
     それを打ち破ったのは、彼らの唯一無二の女王だった。
  • 329 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 16:06:02 [削除依頼]
    「すまなかった」

     短い謝罪の言葉。それを飲み込めず、相良は小さく何故、と問う。紫月は静かに答えた。

    「私の我侭だった。私が皆の運命を変え、もう戻れないところにまで連れてきてしまった。私を恨――ケホッ」

     彼女の口から洩れるのは、後悔の念と、真っ赤な血。紫月を支えた箱庭の少年が「おやめください紫月さま!」と必死に咎める。だが、彼女はやめない。

    「皆が、ここで死んだのも……全て、私、の、責任だ。私を恨め。憎め。何なら、今ここで……殺したって構わないよ」
    「紫月さま、お願いですからお止め下さい!」

     彼女を再度咎めたのは、千里だった。「僕は医学に精通している訳ではありませんが、紫月さまが危険な状態なのは見れば分かります! これ以上ご無理をされると、本当に……!」
    「いいんだ、千里」それはまるで、幼い子供を宥めるような優しさを含んだ言葉だった。「私のような死に損ない、それこそ死んだほうがいい」
     良くないです、と吐き捨てるのが、千里の今できる最大限の抵抗だった。するとその時、今まで輪に加わっていなかった声が彼らの耳に響く。

    「いけません、よ……紫月、さん」

     相良に支えられながら、荒い息を堪えながら――クレイヴは、紫月に向かって言う。

    「自分が罪を犯.したと思う、なら……後悔、しているの、なら。生きて、償わなければいけません」

     それはほんの少し前に、相良が口にしたものと全く同じだった。

    「……ですよね、相良さん」

     青白い顔に微笑を湛え、クレイヴは相良に確認する。相良はその瞳に涙を浮かべながら、大きく頷いた。
  • 330 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 16:19:58 [削除依頼]
     そうか。紫月は虚空を見上げ、そして目を閉じた。一瞬周囲にヒヤッとした空気が流れたが、それが彼女の故意であると分かったので、また沈黙があたりを支配する。
    「だが」紫月が口にしたのは、箱庭ネバーランド住民達が期待したようなものではなかった。「私の死期は近い。治療を受けても、おそらく一ヶ月も持たないだろう。そのくらい、自分でも分かっているよ。だから、私は皆に願いを託す。ここから逃げろ。なるべく固まるな、いくら楽園とはいえ武力には底がある。死ぬ気で逃げろ、そして生き延びろ、いいな?」
     彼女は早口で纏め上げた。ヒュー、ヒュー、といった荒く危険な呼吸が、辺りを蝕んでいく。いつの間にか彼女の周りには、生き残った箱庭住民でいっぱいになっていた。その彼らを代表するように、躊躇いを見せながらも相良が口を開く。

    「嫌です」

     それは彼が彼女に仕えてきてから、最初で最後の否定の言葉だった。

    「貴女がいくら自分を責めようとも構わない。でも、俺は確かに貴女に救われたんだ。だから、俺はここに残ります。紫月さまを置いて逃げるなど、死ぬことと大差ない」

     相良を筆頭に、俺も、僕も、私もあたしも――地下シェルターは、同意の言葉で埋め尽くされた。

    「皆……!」

     彼らの反応に、紫月は驚くばかりだった。途端に、紫の瞳から透明な涙がぽろり、と頬を伝う。
     仕方の無い奴らめ、最期に彼女はそう呟くと、まるで眠るように――目を閉じた。
  • 331 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 16:24:33 [削除依頼]



     そして、その刹那――……、

    『さあ皆さん! さようならーっ!!』

     世界は、一つになった。
  • 332 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 16:27:38 [削除依頼]

     一つになった国は、融合してから数時間経った今でも、砂埃を立ち上げている。それを背景に、ゆりかごに揺られる少女がいた。黒い制服、黒縁眼鏡。そして顔に満足げな笑みを浮かべた少女は、今や全世界の支配者だった。
     少女の名は、ソニア・ダランベール。かつて楽園政府アブソリューティズムに籍を置き、一時期は箱庭の周として生きていた者。彼女はぼろぼろになったゆりかごに乗り、ゆっくりと空中から地面へ降りる。
     彼女の胸に浮かぶのは、目的を果たしたという爽快感。だが、同時にそれと同じくらいの喪失感も抱いていた。
     だがしかし、彼女は嗤う。この終わった世界を――そして、自分自身を。

    「えへへ、きったないのー」

     それは彼女の乗るゆりかごを示しているのか、それとも自分自身を、はたまたこの世界を現しているのか――それは、ソニアのみぞ知る。

    「これで世界は私だけのもの、だね!」
     
     元上司の言葉を揶揄するように、彼女は呟く。しかし世界が終わった今、ソニアに言葉を返すものは、誰一人いない。
     そういえば。彼女は何か思い出したように目をぱちくりとさせる。「この世界が私のものになっても、私以外誰もいないから成り立たないか! うわあ、私の馬鹿ぁ」
     自分を責めるように頭をぽかすかと叩く。そう、ここは、イヴしかいない世界。
     彼女は馬鹿な自分を責め立てながらも――自分だけが今この世界で「痛み」を感じられる唯一の存在なのだということに気づく。それは、ソニアの心に甘い優越感を抱かせた。自然と口元が歪み、笑いがこみ上げる。

    「あは、あはははははは……!」

     ソニアの笑い声は、遠い空にまで響き渡った。


     世界は脆く、儚く――美しい。
     だからこそ、世界は――……、


     狂っている。

                      Fin.
  • 333 桐生遙 id:ETkQwny/

    2012-03-30(金) 16:48:34 [削除依頼]
    後書き(?)
    まず最初にお詫びを。最後の方だけやけに更新スピードが速くしかも量が多くすみません……!
    あと作品内にいくつか誤字を発見しました。一番酷いのは「クライヴ×」→「クレイヴ○」ですね;;主人公なのに申し訳ないです。

    次に、御礼を。
    ここまで読み進めて下さった方、温かいコメントを下さった方々。皆様のお陰でこの作品はここまで来れたのだと思います。本当にありがとうございました。

    そして、この作品について。
    この作品は、今まで私が書いた中で一番原稿の枚数が多いです。前作の倍以上あります(笑)。書き始めた当初はここまで長くなるとは全くもって思っていませんでした。
    キャラクターの人数も、今まで書いた中で一番多いと思います。なので一応何度か推敲しているのですが、キャラクターの名前のミスがあるかもしれません。その時は温かく見守って下さい←
    これで本編は終わりなのですが、実はいくつか裏設定があります(碧、相良・千里の過去など)。少し時間がとれたら、またどこかで書けたらいいな、と思っています。

    最後に。
    ただ今新しい作品を考案中です。またキャスフィの端っこで書かせて頂きたいと思っています。
    ここまで読んで下さった方々、本当にどうもありがとうございました!

    桐生遙
  • 334 桐生遙 id:MImEiCz/

    2012-03-31(土) 10:28:16 [削除依頼]
    まとめてみました。いっき読みはこちらで! 不具合があればお知らせ下さい。 ご挨拶 >>2 本編 >>3-5+9+11-22+25-31+34-39+44-46+49-62+65+66+71-125+128-147+152+157-163+169-174+177-183+186-191+194+197-202+205-231+234-261+264-267+270+271+274-277+291-295+298-309+312-332 後書き(?) >>333
  • 335 遥子 id:S6lONXv1

    2012-04-01(日) 10:45:07 [削除依頼]
    完結おめでとうございます!そしてお疲れさまでした。
    かなり初期からずっと読ませていただいて、もうクレイヴさんや、アンちゃんや、千里くんや、みんなに会えないんだなあと思うと寂しいです。私がいうのも変ですが(笑)
    クレイジー・ワールドのキャラはみんな好きです。ソニアちゃん含め。
    ……うん。いろいろ言いたいけとはあるけど、この辺で。

    最後にもう一度、お疲れさまでした。楽しかったです。
  • 336 桐生遙 id:ByBfkgR.

    2012-04-02(月) 10:54:02 [削除依頼]
    >>335 コメントどうもありがとうございます! 毎回完結するたびに達成感はあるのにキャラと別れるのが辛くて最近は夢にも出てくるようになりました( クレイヴには冷たく突き放され、相良と千里には攻め立てられるというw精神的に辛いです← ソニアちゃんは最後まで自分で突っ走っていっちゃいました。私には止められないです((え 楽しかった、と言って貰えるのが私にとって一番嬉しいです。今後も頑張っていこうと思います!
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