キャスフィ夏の小説コンテスト会場*125コメント

1 夢梅 id:pPHwEz9.

2011-06-01(水) 20:11:05 [削除依頼]
      ――――ミーン、ミンミンミー……   「あー……うるさい……」 360度山の緑に囲まれた田舎の縁側。 赤紫に染まった空には夕日の代わりに、もう夏の大三角の一等星たちが ちかちかと一生懸命に輝いている。 夕方になっても鳴きやまない蝉たちの歌声を聴き、わたしは眉間にしわをよせた。 「うわ、ぬるい」 おばあちゃんがさっき切ってくれた真っ赤な種だらけのスイカを口に含む。が、 あまりの暑さに、スイカの中の水分まで温まってしまったようだ。 「おばーちゃーん、もっかい冷やしてよー」 向こうの台所にいるはずのおばあちゃんに叫びながらも、もう一度スイカにキスをするわたしは、 ふと、薄くなったスイカが何枚も並ぶお盆の隣に目線が行った。 「花火っ!! ……と、なにこれ?」 吹き出し花火や線香花火が詰まった華やかな花火セットの上に重ねて置かれていたのは、分厚くて古臭い本。 このままでは大切な花火セットがつぶれてしまう、と、わたしはその本を手に取った。 「えっと……、"summerstory"……?」 消えかけた文字を読み、この本の中身を殆ど察知した。なんてそのままな題名。 「おばあちゃんのかな? ちょっと見て見よっと」 夏休み前に学校の図書室で借りた本のページは全然進んでいないと言うのに、何故かこの本の表紙を開きたくなった。 そしてわたしはゆっくりと表紙を開く。   蝉の声が、遠のいた――――――――――……                         >>2
  • 106 よみ id:GYoAH4F.

    2011-07-24(日) 00:11:54 [削除依頼]
    「でも、大学生になったらこっちに戻ってきます。今更、志望校を変えるつもりはありません」
    志摩さんは急にきっぱりとした口調で言った。
    志望校。まだ受験まで一年近くあると高をくくっていたあたしにとって、その言葉は不意打ちのように胸に刺さった。
    「志摩さんの志望校ってどこだったっけ」
    前にも聞いたかもしれないことをまた訊ねるのは気が引けたが、志摩さんは顔色ひとつ変えずに教えてくれた。地元の名のある国立だった。そこで教育学を勉強したいらしい。
    「麻倉先生の母校なんです。去年の夏にオープンキャンパスに行ったんですけど、すごく落ち着く雰囲気でした。あと一年あればぎりぎり行けそうです」
    志摩さんは照れたように俯く。つややかな黒髪がさらりと揺れた。志摩さんは保健室教諭の麻倉先生に憧れている節があった。
    「志摩さんって、もしかして保健室の先生になりたいの?」
    「はい。今まで、一番お世話になってきた場所なので」
    即答だった。志摩さんは顔を上げて、ふたたび青空を見つめる。
    「早瀬さんはなりたい職業とかありますか?」
    「あたし? 特にないなあ」
    恥ずかしながら、こちらも即答だった。自分の将来をしっかり考えてる人に何も考えていない自分のことを話すのはなかなか情けなかった。
    「もし将来の夢ができたら、私に教えてくださいね」
    しかし、あたしの内心の落ち込みなど気にもせず、志摩さんはにっこりと笑った。
    「応援しますから」
    「応援?」
    「はい。ゆっくり見つければいいんですよ」
    そう言う志摩さんの目は、麻倉先生に似た柔らかい色をしていた。
    ああ、志摩さんはきっといい先生になるだろうな。あたしはこのとき確信した。
  • 107 よみ id:GYoAH4F.

    2011-07-24(日) 00:14:52 [削除依頼]
    「じゃあさ、メア.ド交換しようよ。メア.ド」
    「メア.ド?」
    志摩さんはきょとんとした顔をする。
    「あたし、志摩さんのメア.ド知らないし」
    「メア.ドって……あっ、メールアドレスのことですか?」
    他に何があるというのだ。志摩さんはあたふたと携帯を取り出した。
    「ごめんなさい。私、携帯のアドレスを人に教えたことがなくて、ぴんときませんでした」
    「うわっ、マジで?」
    思わず素で驚いてしまった。確かに、一年近く顔を合わせていたのに、志摩さんが携帯を開くところを見るのは今日が初めてだった。
    そういえば、志摩さんと携帯という組み合わせは、なんとなくそぐわない。日傘や文庫本やセーラー服のようにしっくり馴染んではいなかった。

    「でも、家族は当然知ってるでしょ?」
    「ええ、それはもちろん。でも、私が携帯を操作して教えたわけじゃないので……」
    そう言う志摩さんは、なにやら苦労して携帯と格闘していた。何してんの? と訊いてみると、自分のメールアドレスが出てこなくて困っているらしい。
    「いや、赤外線で送り合えばいいじゃん」
    「赤外線?」
    志摩さんはパッと顔を上げる。猫のような丸い瞳に不思議そうな色を浮かべていた。
    初めて聞いた言葉のように、赤外線……と呟く彼女に向かって、あたしは片手を出した。
    「えっと、説明するより実際にやってみた方が早い気がする。携帯貸してくれる?」
  • 108 よみ id:GYoAH4F.

    2011-07-24(日) 00:16:41 [削除依頼]
    あたしが赤外線通信をして、お互いの携帯にアドレスと番号を登録しているあいだ、志摩さんはしきりと「そんなことができるんですか!? すごいですね、科学はここまできたんですね!」とか何とか言って、熱っぽい歓声を上げていた。
    どうしてだろう。志摩さんとは同級生のはずなのに、拭いようのないジェネレーションギャップを感じるあたしだった。
    「ありがとうございます。私の携帯に、こんなすごい機能があったとは知りませんでした」
    携帯を返したあと、志摩さんは丁寧にお礼を言ってくれた。電話帳に新しく追加された「早瀬了(ハヤセリョウ)」の名前を確認して、感嘆の声を洩らしている。
    アドレスを交換しただけで、こんなに面白いリアクションが見られるとは思わなかった。
    あたしも自分の携帯の画面に目を落とす。
    画面に表示されている名前は「志摩文乃(シマアヤノ)」。このとき初めて、志摩さんの下の名前を知った。
  • 109 よみ id:GYoAH4F.

    2011-07-24(日) 00:19:32 [削除依頼]
    「ああ、大変!」
    ふいに腕時計を見た志摩さんは、慌てて立ち上がった。
    「もうこんな時間ですね。行きましょう、早瀬さん」
    自分の鞄を取り上げながら、あたしに腕時計を見せてくれた。五限が終わる十分前だ。
    「何で急いでんの?」
    「休み時間になる前に保健室に帰りたいからです」
    志摩さんはあたしを振り返らずに歩き出した。あたしも遅れないように後に続く。
    「休み時間中に帰るって、麻ちゃんと約束でもしたの?」
    涼しかった秘密の場所を出て、図書館の正面に回る。
    けたたましい蝉の声が響いてきた。吹きつける風も元の熱さを取り戻す。来たときよりも厳しくなったように感じる日射しを日傘で防ぎながら、志摩さんは答える。
    「いえ、麻倉先生は関係ありません。休み時間の廊下が苦手なだけです」
    「休み時間の廊下?」
    「人波に押し潰されそうな気がするんです」
    露骨に嫌な顔をして、志摩さんは足を速めた。あたしは首をひねる。
    「えっと……それは志摩さんがちっちゃいから?」
    「早瀬さんがおっきいだけですよ!」
    心外だと言う風に目を見開いて、志摩さんは振り向いた。
    「私、ちっちゃくはありません! 平均です!」
    「あ、ごめん……いや、あたしから見るとちっちゃくて可愛いなって……」
    「早瀬さん、ちょっと自分の足が長いからって調子に乗らないでください」
    「いやいや乗ってないよ!」
    慌てて否定するあたしを、志摩さんは上目遣いに睨んだ。そしてぷいっと顔を逸らす。
    「違います、教室に入りたくない心理と似たようなものです」
    「ああ、なるほど」
    話しているうちに下駄箱まで帰り着き、まだ人気のない廊下を歩いて保健室を目指した。
    「早瀬さん、なるべくメールじゃなくて電話をしてもらえませんか?」
    保健室の扉を開ける前、ふいに志摩さんがこちらを向いた。
    「いいけど、何で?」
    「私、メールが遅いので」
    「……うん、予想はしてた」
    了解、と言ってひらひら片手を振ると、志摩さんは安心したように息を吐いた。
  • 110 よみ id:GYoAH4F.

    2011-07-24(日) 00:22:18 [削除依頼]
    志摩さんが保健室の扉を開ける。空調の冷気がサッと廊下に流れこんできた。
    あたしが扉を閉めた瞬間に、五限終了を告げるチャイムが鳴り響く。
    志摩さんは、「ただいま帰りました」と麻倉先生にお辞儀をした後、くるりと振り向いた。
    「ぴったりでしたね」
    得意そうに微笑む志摩さんの肩越しに、窓の向こうの夏空が見えた。

    *夏雲誘い  了.
  • 111 夏蜜柑 id:HJtRSlT/

    2011-07-24(日) 08:11:41 [削除依頼]


    「ビー玉をたくさん水に溶かしたらさ、海になるかな」


     ぼんやりと魅入られたようにビー玉を見つめながらぽつりと呟かれた言葉に、僕は飲んでいたラムネを吹き出しそうになった。だけど彼はそんなこと気にした風は無く、まるでそこに夢でもつまってるかのように、ラムネの瓶に入っていた薄青いガラス玉を指で弄びながら、くるくると蛍光灯の白い光に透かしている。
     なるわけないだろ、って言うのは簡単だった。だけど彼自身が何だか楽しそうに見えたので、水を差すのは野暮かと子供心にそう納得して、僕は残りのラムネを一気に煽った。

    「ほらよ」

     瓶からビー玉を取り出して手渡してやれば、もともとでっかい目をさらにでっかくして嬉しそうにはにかむから、あげた僕まで嬉しくなるのだ。どうせ僕が持ってたって、何に使うわけでもないのだから安いものなのだけど、ラムネを飲んだ後の砂糖でべたついたビー玉はきっと、彼にとってダイヤモンドよりうつくしい宝石だったに違いないのだ。
     そんなこんなで彼は一味変わった子供だった。夏祭りに一緒に行けば、りんご飴を買う代わりにラムネを買ったし、ゲーム機やゲームソフトが当たるくじびきには何の興味も示さなかった。ラムネなんていつでも買えるのにと言えば困ったように笑うから、しょうがないから僕のりんご飴を半分こして一緒に舐めた。

     りんご飴よりも綿菓子よりもくじびきよりも、ラムネのビー玉を愛した少年のその名を、海という。
  • 112 夏蜜柑 id:HJtRSlT/

    2011-07-24(日) 11:48:34 [削除依頼]

     
     僕や海の住む町は四方が山に囲まれたちいさな田舎町だった。だからなのか、僕も海も、本物の海を見たことが無かった。海の名を持つのに海を見たことが無いというのもおかしな話だが。

    「海ってほんとに広いのかな」

     海はいつもビー玉を眺めながらそう言った。海の白い肌がビー玉の透明な青色を映して、薄ぼんやりと光っている。ビー玉の色が海の色と似ているといったのは誰だっけ。忘れた。だけど見たこともないでっかい透き通った青い海が、夏の太陽の光を眩しいくらいに受けて、きらきら輝くのはきっと綺麗だ。夏の浜辺の射るような日差しも、熱い素肌に染み入る甘くて冷たいかき氷も、あちらこちらに咲く色とりどりのパラソルも僕らは知らない。だけど、海が広くて深くて青いことくらいは知ってる。見たことは無くても。

    「広いに決まってるだろ。水平線が見えたって大海原はずっと遠くまで続いてるんだ」
    「どうして分かるのさ」
    「知らねー」

     いい加減に笑ってみせると、海も困ったように眉を下げて笑った。
     広いに決まってるんだ。世界一でっかい船もクジラも飲み込んじゃえるんだから。船もクジラも見たことなんて無い、けれど。見たことあるのは見渡す限りの深い色した山と、やけに高い空の色と、ラムネの中のビー玉くらい。
     ちょっとぬるくなったラムネ片手に、僕の家の縁側に腰掛けて海は夏休みの宿題をせっせと仕上げながら、僕は海のビー玉をはじいて弄びながら、ふたりでヒグラシの鳴く声を聴いていた。センチメンタルな橙色の空が怖いくらい眩しくて、思わず目を細める。夏休みも残り半分を切ろうとしていた。宿題なんてかけらも終わらせていないけど、そんなこと気にすることができるほど僕は優秀じゃない。聞けば海はもう残ってるのは読書感想文だけなんだって。また母さんにお小言を言われそうだと、ひとり肩をすくめた。
  • 113 夏蜜柑 id:HJtRSlT/

    2011-07-24(日) 20:26:10 [削除依頼]

     めったに面倒くさがって外で遊ぼうとしない海の、透けるように白い肌が夕陽に染まっていく。僕の投げ出された足の爪も、飲み終わった空っぽのラムネの瓶も、海のさらさらした柔らかそうな髪も。全部橙色に満たされていく。カナカナカナと物悲しく静かに響くヒグラシの声がだんだん細くなっていって、ぷつりと途絶えた。すると海が鉛筆を置いて、宿題のワークをぱたんと満足げに閉じた。ふいに視線を上げると、何をするでもなく虚ろに宙を見つめる僕に驚いたのか、怪訝そうに首をかしげて海がひらひらと僕の目の前で手を振る。白くて細い指先が眼前をかすめてようやく我に返ると、きゅ、と海が眉間にちいさく皺を寄せた。

    「……どしたの」
    「ん? いや、あのさ」
    「わーかった。まだ宿題終わってないからだろ、見せてあげるからさっさとやんなって」

     くく、と喉の奥を震わせて笑う海が、仕方なさそうにワークを差し出す。
     言わなければ。彼に、言わなければ。
     
    「あのさ、海」

     意識したつもりはなかったのだけれど、やけに真剣に張った声が、幼さを帯びた海の顔から笑みを消した。しん、と湿っぽい沈黙が降りる。またヒグラシが鳴き始めた。カナカナカナ、と。ああ、こんな雰囲気にするつもりじゃなかったのだけれど。

    「引っ越すんだ、って。もうすぐ」


     弾かれたように顔を上げた海の見開かれた大きな目が、ビー玉みたいだと思った。
     


     
  • 114 夏蜜柑 id:HJtRSlT/

    2011-07-24(日) 22:12:49 [削除依頼]

    「え……、誰が」
    「僕が」

     そっかぁ、といつかの夢を見ているように頼りない口調で言った海の声は、ゆるりと夏の湿った風にまぎれていくようだった。普段も口下手な節がある海は何と言っていいのか分からないようで、狼狽えるように視線を彷徨わせている。

    「どこ、いくの」
    「わかんない、海のある町だって父さんが言ってた」

     勝手に潤みだす視界をどうにかしようと、ふっと空を見上げれば陽はそろそろ暮れかけて、橙色の中に深い青がぼんやりと滲んでいる。どうしようか。まるで他人事のようにどうやってこの後話を繋げようか、拙い頭をフル回転させる。急な話だったわけじゃない、数ヶ月前から知っていたことだったけれど、何となく現実味が無かったんだ。この田舎町を離れることも、この縁側から見える山の色がもう見られないことも、海と離れなきゃいけなくなることも、信じ切れていなかった、のだ。信じたくなかった。多分。

    「いつ?」

     ぽそりと投げやりに呟いた海も、ずっと難しい顔をして俯いていた。僕は返事をしなかった。


    「今日、泊まってけよ。遅いし」


     
     
     
     
  • 115 夏蜜柑 id:P4OBeYV0

    2011-07-27(水) 01:01:45 [削除依頼]

    それからというもの海は、神妙な顔して黙りこくったままだった。泣き出しそうにも怒っているようにも、何かを考え込んでいるようにも見える、眉間にきゅっと寄せられた皺に心がちくりと痛んだ。父さんと母さんは今日は帰ってこないらしい。茹ですぎたそうめんを二人無言でつるつるとすすりながら、僕は何とかこの鈍く重たい空気を打ち消そうと思考を巡らせる。でも、こんな時のための気の利いた言葉なんて生憎かけらほども持ち合わせていなくて、やるせない自分に溜息を吐いた。

    「……うみ」
    「へ?」

     うっかりすれば聞き逃してしまえそうなほど、海の声は掠れて、ちいさく震えていた。かたく握った拳が何だか頼りなく見えて、――まるで、僕との別れが寂しいとでもいうように。

    「いつか海、見に行くからさ」
    「……うん」
    「ついでに会えるといいな?」

     

     
  • 116 夏蜜柑 id:JPcD2v/0

    2011-07-29(金) 21:17:29 [削除依頼]


    俯いていた顔を上げれば、海はもういつも通りに穏やかに微笑っていた。三日月みたいに細められた目の奥の深いやさしさに、僕は一体どれだけ助けられただろう。救われてばかりの僕は、多分なんにも彼に与えることなんてできていないんだ。きっと、最後の最後まで。

    「ビー玉なんかよりさ、絶対キレーだよきっと」

     ビー玉よりも透明で、ビー玉より青くて、ビー玉より広くて、ビー玉より深いんだ。そう言えば、海は何故かひどく寂しそうに、そうだなと瞳を伏せた。長い睫毛が重たげにふるふると震えていた。泣いていたのかもしれない。分からなかった。僕が先に泣いてしまっていたから。

    「寂しくなったら言えよ」
    「そっちこそ」

     なんの根拠も無い虚無感と、未だ信じ切れない寂しさの狭間に取り残された僕ら二人は、それでも素直になりきれなくて。真っ赤な目をこすりあげて無理矢理口角を上げて笑って見せたことだけ覚えている。
     


     それが、今から十年も前のこと。
  • 117 夏蜜柑 id:JPcD2v/0

    2011-07-29(金) 22:42:17 [削除依頼]


    「うっわ、変わってねー」

     見渡す限りの山、色褪せた駄菓子屋の看板も、ぽつりぽつりと建つ古めかしい民家の並びも、さらさらと風に流れる青い稲の群れも、すべてが懐かしい。沈みかけた太陽の緋色の光さえ褪せずに、あの頃のまま輝いているように見えた。
     あれから、海のある町から古都から、背高のっぽのビルが空を阻む都会まで、住むところを転々としてきた。そして都会のはずれのちいさな町に腰を落ち着けた途端、母さんは病死した。それと同時に、僕は母さんのいないがらんどうの家を出て行った。それからしばらく時を経て、ここ最近見かけた父さんは、白髪が増えてひどく老けて見えた。くたびれたポロシャツを着て、騒々しいパチンコ屋から出てきた父さんを、僕は蔑んでいたのかもしれない。あのとき、僕はどんな目をしていたのだろう、父さんは決まり悪げに眉を片方下げて笑って、元気かと言った。虚無の宿った、濁った目だった。元気だよと愛想よく言ったのは本当に僕の口だろうか。とにかく早くその場から逃げ出したくてたまらなかった。それは、父さんが哀れだったからなのか、そんな父さんと一緒にいるのを、人に見られると恥ずかしかったからなのか。分からない。分かりたくもない。

     ふいに帰りたくなったのは、海のあのどこまでも深く澄んだ、色素の薄いビー玉みたいな目が懐かしくなったからだった。

    「おばちゃん、ラムネちょーだい。二本」

     別に会えると思っているわけじゃないけれど。
     やけに涼しげなガラスの瓶を二つリュックにつっこんで、見慣れた小道を足早に歩いていく。この垣も覚えてる。この道を二人でラムネを飲みながら歩いたっけ、と口元が勝手にほころんだ。すると、きゃあとけたたましい声があがって、くるりと振り向く。

    「あれまあ、康ちゃん?」
    「そうですよ、おばさんも変わらず元気ですね」

     やっだあもう年なのよ、と日焼けした顔で豪快に笑うおばさんも本当に十年前と変わらない。思えば、僕にやさしかったのはこの土地だけだったような気がする。そうだ、僕の帰るべき場所はやっぱりここだったんだと、思えば妙に清々しくなった。

    「髪なんか金色にしちゃって嫌やわ、垢ぬけちゃって。あら、どっか行くの?」
    「ええちょっと。海に会いに」

     
  • 118 夏蜜柑 id:JPcD2v/0

    2011-07-29(金) 23:14:29 [削除依頼]

     途端に、おばさんの顔が暗く強張った。申し訳なさそうに白っぽい眉毛を八の字に下げて、言い難そうに口を噤んでいる。どうしたのだろう。

    「もしかして留守ですか。僕、もう少しこっちにいる予定なんで出直しますよ」
    「康ちゃん、海くんと仲良かったものね……」
    「はい、だから」

     にこりと笑って、その場を後にしようとすると、おばさんにまた物凄い力で引き戻される。記憶より皺の増えた顔が、悲しそうに歪められていた。


    「もう海くんには会えないのよ」


     喉の奥からしぼりだされたようなくぐもった声に、一瞬頭の中が真っ白になった。
  • 119 夏蜜柑 id:JPcD2v/0

    2011-07-29(金) 23:52:16 [削除依頼]


     一家心中したの、康ちゃんが引っ越してから二年くらい経ってから。そう、ちょうどこれくらいの時期にね。可哀想にねえ、海くんまだ十四だったのにねえ。お家もう取り壊されて空き地になってるわよ。こういうのも何だけど、やっぱり不吉でしょう、ほんとになんにも無いのよと、ぺらぺら面白いくらいに喋り倒すおばさんの話なんて、もう半分以上聞いていない。膝の感覚がまるで無かった。がくがくと震える足は、もう立っているのが精いっぱいで、反芻するのは、

    『もう海くんには会えないのよ』


     そうだった。母さんが死.んだときもそうだった。まるで自分が深すぎる闇に飲み込まれていくような、冷え冷えとしたこの感覚。瞬きすらも忘れて絶句する僕に、おばさんは可哀想にねえ、と呟いてその場を去っていった。吐き気がした。もうあのおばさんの顔は二度と見てやるかと、ぼんやり痛む頭で思った。
     ふらふらと信じ切れない思いで、海の家への辿り慣れた道を見下ろす。そんな。変わらないのに。何にも変わってやしないはずだったのに。

    「う、そだ……」

     へたりとその場に壁伝いに座り込んだ。

     あるはずのものが、あるはずの場所に無いと知ったときほど、恐ろしいものは無いと思う。
     見慣れた黄ばんだ石壁も、軋む戸口も、海も、からっぽだったのだ。ぽっかり空いたそこには海の家の面影などなく、焼けるように朱い空と朱く染め上げられた山だけが見えていて、あの日とは違う、形のある『空虚』にひどく打ちのめされた。無い、無い、無い、――――どこにも。これ以上見て居られなくて思わず目を逸らすと、欠けたビー玉がそこに転がっていた。その薄青いガラスは、完成されたガラス玉とは違って、陽にすかして覗いてみればただ湾曲した変則的な光が僕の目を鋭く射抜いた。泥で汚れたビー玉のかけらは、海の真ん丸の汚れを知らない目とは似ても似つかなかった。
  • 120 夏蜜柑 id:WxEu/hG/

    2011-07-30(土) 00:14:32 [削除依頼]

     
     がたん、がたんと揺られる電車の中、すっかりぬるくなったラムネの瓶をリュックの中で握り締める。何がしたかったのだろう、僕は。僕は、故郷に帰って、海に会って、どうするつもりだったのだろう。

     わからない。わからない。わから、ない。無い。
     
     つん、と鼻の奥が痛んだ。うっかり涙なんてこぼれてしまわないように固く目を瞑って、このまま眠ってしまおうかと息を吐いた。
     気が付けばふらふらと立ち上がって、家の痕の前にラムネの瓶を供えていた。誰にも顔を見られないように田舎道を引き返しながら、僕はもう明日を食いつなぐバイトのことを考えていた。我ながら嫌な奴だと自嘲してみれば、何だか悲しいくらいにおかしくなる。

     舌にべったり張り付くように甘ったるいラムネを無理矢理流し込みながら、のっぺりと暗い夜空を眺める。海があれだけ憧れた海は、あそこならきっと簡単に見下ろせることだろう。


    「さびしい、うみ。寂しいぞ、なあ」

     
     寂しくなったら言えよと、涙声で言ってたじゃないか。勝手に苦しくなって、勝手に泣いている僕を哀れだと慰めてほしいんだ。だから、どうか今すぐ。
     カナカナカナ、と物悲しいヒグラシの鳴き声が聞こえた気がした。


    /* ラムネいろの海
  • 121 御坂紫音@co1261978 id:ck7Dl8X1

    2011-08-05(金) 20:16:35 [削除依頼]
     
     彼女は、わらうのだ。
     くるりくるりと、向日葵のように。
     彼女は、わらうのだ。
     残虐に、残酷に。虐げながら、静かに哂うのである。

    *夜空、星座、窓越しにて
  • 122 御坂紫音@co1261978 id:ck7Dl8X1

    2011-08-05(金) 20:28:25 [削除依頼]
     冷ややかな風が少女の頬を撫でて、髪の毛を揺らす。
     長い黒髪がゆらゆらと闇夜に溶け込み、静かに舞っていた。

    「狩沢」

     狩沢と呼ばれた其の少女は、後ろを振り返る。
     
    「寒くないか?」

     そこには目立たない平凡な、少年が立っていた。
     2人が居るのは家のベランダらしき場所で、狩沢まこは手すりに体を預けている。
     白いワンピースがはたはたと、ゆれる。

    「ううん……大丈夫」

     淡い笑みを浮かべると、言葉を紡ぐ。
  • 123 御坂紫音@co1261978 id:frEuK1E0

    2011-08-07(日) 15:45:36 [削除依頼]
     目線は何故か南の空の下のほうに投げかけられ、ぼんやりとしていた。
     輝く星。
     暗い夜空にきらめくそれは、美しい。

    「何みてんの?」
     
     少年――藤井聖夜はテラスに出ながら、まこに問いかけた。
     まこは答えずに、ただ空を見るのみで。
     聖夜は其の視線の先を追いかけた。
  • 124 御坂紫音@co1261978 id:VKq2Pei1

    2011-08-08(月) 14:37:14 [削除依頼]
     
    「北斗七星?」
    「ちがうよ……」

     ふふ、とまこは笑うと指を少し下げて指差す。

    「みなみの冠座だよ」

     聞きなれない星座に首を傾げつつ聖夜は怪訝な顔をまこにむけた。
     
     知りたい?と可愛らしく目を細めながら言うと聖夜の返答を待つことなく、口を開いた。
     
  • 125 通りすがり id:JwDzIEe1

    2011-09-21(水) 23:35:34 [削除依頼]
    夏の終わりっていうか秋だけど、良作なので上げ↑
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