1 左近 [2006/07/09(日) 13:41:54]
・・・・・コホン・・・戦国好きな人、お話しましょう!!
41 足利 [2006/07/27(木) 19:22:26]
う〜ん、真田幸村は「日の本一の兵」とまで評されているし、
本多忠勝は「家康に過ぎたるもの」に入ってるし、「東の本多忠勝」
とまで言われているし。う〜ん、悩みますね。
42 勝頼 [2006/07/28(金) 15:42:31]
おお、そうじゃった。
幸村も、相当の猛将らしいから、
一騎討ちしたら、
戦いが、長引くじゃろう。
43 左近 [2006/07/30(日) 23:00:05] sakon
結局は・・・・・どっちでしょうか。
44 征韓論者 [2006/07/31(月) 22:00:29]
議論しても決着はつかないのでやめましょう
(自分が言いだしっぺ)
僕は小牧長久手の戦いが好きです。
智恵のぶつかり合いといった感じでしょうか
45 足利 [2006/07/31(月) 22:54:07]
僕も好きですよ、小牧・長久手。家康強いです。
46 突忍 [2006/08/01(火) 11:37:54]
まあ、結局信雄が秀吉と講和してしまったんですけどね
47 征韓論者 [2006/08/01(火) 14:21:38]
秀次が手柄をたてようと焦った結果、家康に奇襲を
かけられ講和せざるをえなくなった。
それにしても講和しなくても家康が勝ってましたよね?
秀吉の口車に信雄がまんまとのせられましたからね
48 足利 [2006/08/01(火) 16:08:47]
そうそう、信雄は父親ほど優れてませんでしたね。
49 勝頼 [2006/08/01(火) 19:08:43]
しかも後に、
秀吉に流罪にされたというぞ。
50 左近 [2006/08/02(水) 16:17:50] sakon
林間だったので更新できませんでした。すいません。
私も小牧・長久手好きです。
51 征韓論者 [2006/08/02(水) 20:12:06]
小牧・長久手が好きな人結構いてよかった
52 左近 [2006/08/05(土) 11:03:14] sakon
あげ
53 左近 [2006/08/10(木) 14:30:26] sakon
前テレビでやってたんですけど日本人が好きな偉人で織田信長が1位で納得できませんでした。
54 左近 [2006/08/12(土) 23:03:46] sakon
あと今日「その時歴史が動いた」の再放送で小牧・長久手特集
やってましたね。
55 征韓論者 [2006/08/13(日) 19:19:59]
え?そうだったんですか?
見たかった〜
56 左近 [2006/08/14(月) 00:31:35] sakon
何故かコアラテレビでやってました。
57 足利 [2006/08/28(月) 16:10:16]
秀吉と家康、どっちが好きですか?僕は家康なんですが。理由は、秀吉は朝鮮侵略をしてしまったのでね。家康のほうが行いはましかと思いまして。
59 勝頼 [2006/08/29(火) 09:46:11]
秀吉は、朝鮮を侵略しようとしたから、あんまり好きでは無いな。
だが、家康は、天下を統一して幕府を開いた後も、さらに、安泰させたので、どちらかと言うと、家康の方が、好きじゃ。
60 足利 [2006/08/31(木) 16:49:39]
やっぱりみなさんも家康でしたか。
61 重治 [2006/10/18(水) 22:23:56]
僕は竹中半兵衛が好きです
功名が辻では微妙でしたが・・・
62 伊達 [2006/10/19(木) 17:43:32]
伊達成実がすきですね!
63 桂元澄 [2006/10/28(土) 21:21:49]
稲葉一鉄 高坂弾正昌信 山中鹿介幸盛 北条早雲が好き
64 勝頼 [2006/10/29(日) 13:15:17]
我は中国地方を統一した毛利元就かのう
65 征韓論者 [2006/10/30(月) 19:35:40]
僕は豊臣秀次が好きですね
66 桂広澄 [2006/10/31(火) 23:59:04]
秀次か。豊臣一族は大納言秀長が一番いいな。1591年あたりに死んだけど、秀吉の天下には欠かせない人物でしたからね。
67 勝頼 [2006/11/01(水) 18:43:24]
秀次はあまり好きではないな。
だが自害するときが気の毒じゃ。
68 征韓論者 [2006/11/01(水) 20:17:06]
あそこまでするんだから秀吉はよっぽど秀次に
継がせたくなかったんですね。
69 足利 [2006/11/02(木) 01:00:39]
秀次もかわいそうですがそれよりもっとかわいそうなのは、秀次の妻子達ですね。撫で斬りにされるなんて・・・。
70 勝頼 [2006/11/02(木) 19:58:33]
うむ罪無き者を殺すとは秀吉は恐ろしい男じゃ。
71 渡辺 [2006/11/02(木) 19:59:26]
天下が決まったときぐらいからおかしくなったね秀吉は
72 足利 [2006/11/05(日) 09:43:30]
秀吉は精神の病があったらしいですよ。いつごろからなったかは知りませんが。
73 渡辺 [2006/11/05(日) 19:50:10]
72≪
ふーんそうなんだ
74 (´・ω・`) [2006/12/07(木) 23:24:30]
はじめまして。
>>68
豊臣も秀次が生きていたら間違いなく、関ヶ原も起こってなかったし
豊臣も滅ぶ事はなかった(´・ω・`)
それと反対に、秀吉は秀次を殺し、まだ幼い秀頼に継がしたから、それと家康を甘く見ていた事が滅ぶ原因になる。
75 虫けら [2006/12/08(金) 00:35:01 ID:isofurabon]
彼は家康を甘く見ていた、っていうのは違うと思うけどなぁ。
自身が織田家を没落させてまんまと乗っ取ったように、
豊臣家も家康にも乗っ取られるだろうと、秀吉は思ってたと思う。
いや、もっと深読みすると、豊臣の方策にはビジョンが今ひとつ足りない。
成り上がりのため勢力基盤が弱く、一族も数少ない上弱い。
それに比べて三河武士を率いて歴戦を勝ち抜き、関東一円を支配する家康は、
明らかな野心に加えて強固な地盤がある。
自分の代で豊臣家は絶えるだろう、という想いがいつもどこかにあったんじゃないだろうか。
秀次がいたところでカウントダウンが幾分上乗せされるだけ。
秀次とてその器は天下人たるに遠く及ばないし、
一説では秀頼にその器があったともされているが、何分幼い。
しかも成人した秀頼と秀次とで、お家騒動が起こらない、と誰が断言できるだろう?
どう計算しても豊臣日の本は長く続かない。よくもってもあと一代。
そう分かった途端に自堕落になってしまう当主って意外といる。
有名なところでは、中国三国時代の呉の皇帝・孫晧がそうだし……。
秀吉はそこまでひどくならなかったけど、そういう状況になったら人ってどうなるだろう……。
駄文失礼しました。
76 (´・ω・`) [2006/12/08(金) 10:14:21]
>>75
いや、甘く見てるよ。
家康の領土が東海から移された時の関東は戦乱でむちゃくちゃになって、北条遺臣が暴れ回っている、まぁボロボロの状態。
江戸も交通便が良いだけで、かなりの田舎だし、
これを見た秀吉は、復興するのは難しいし、その頃には家康は死んでるだろ。
と思ってたんだな。
でも、家康は関東をすぐ発展させて裕福な土地にさせたんだから、秀吉は家康の政治手腕を甘く見ていたと見る(´・ω・`)
仮に石田三成に100万石以上与えても、三成が天下を奪う可能性があるしね。
77 (´・ω・`) [2006/12/08(金) 10:24:02]
>>75
>>秀次がいたところでカウントダウンが幾分上乗せされるだけ。秀次とてその器は天下人たるに遠く及ばないし、
それでも秀次には関白という朝廷の大権力があったし、それを利用すれば豊臣は残れたし、むしろ長く残れる。
78 虫けら [2006/12/08(金) 18:53:49 ID:isofurabon]
>>76
ああ、確かにそれを取れば「甘く見ていた」ということになるでしょうね。
婚姻政策をやって、未開地とは言え関東の大領土を与えて、
万全とは言いがたいがまあまあ安全、という感じでしょうか。
確かに関東を大発展させたのは秀吉の予想を上回る結果だったと言えます。
秀吉はその後にこれといった対家康政策をしなかったし、
むしろ関東で地盤をより強固にした相手には、何もできなかったとも言えるでしょう。
当時、秀次が関白にあったとはいえ、
将来的な見通しはかなり厳しいものでした。
さっき述べたように、秀頼成人までの繋ぎに過ぎない秀次が、
関白を譲った後大人しく秀頼に従うか、とか、
依然強大な領土と秀絶な人材を抱える徳川家をどう扱うか、とか、
朝鮮出兵後の対外政策はどうするか、とか、
朝廷官位の圧倒的欠乏をどうしよう、とか、
泰平になって立ち往生の軍や将官をどうしよう、とか……。
加え、豊臣家と家臣を繋ぐものが「秀吉との親交・恩義・従属」に過ぎないのですから、
全国の大名統治に対して人一倍眼と神経がいるし、
要地を門閥で固めることすら出来ません。
他にもキリシタンの処遇、全く確立していない政治体制など、
秀吉が遺したのは負の遺産ばかりです。
関ヶ原、大阪の陣と言った悪夢は、確かに秀次在命なら防げた可能性が大きいでしょう。
しかし家康ほどの野心とビジョンに欠けた秀次、秀頼らにどこまで国を治められるか。
野心家と言えば家康ばかりでなく、豊前の知将黒田考高、奥州の独眼竜政宗だっています。
最辺境の九州には豪傑・島津家、秀吉に恨みを持つ織田家の存在まであり、
暗愚ではなかったにせよ俊傑でもなかった両名に、それらがどこまであしらえるか、愚生にはちょっと計り知れませんが……。
79 (´・ω・`) [2006/12/08(金) 21:30:24]
家康に対しては、何もしてないわけでもない。
それが五大老五奉行。そもそも五大老五奉行は秀頼を補佐するためと、豊臣恩願大名をまとめるためと、秀吉が死んだ後家康が天下を取ってしまう危険性があるので家康を動けなくするため(´・ω・`)。
あくまでも俺の考えだが
まぁ仮に大阪の陣が起きなくても秀次は、家康か淀殿(尾張派)が殺してたと考える(´・ω・`)
秀次が死んだ後は徳川と対立するが家康は途中で死亡、
あとは徳川の始末と豊臣内部の収集。各大名の支配強化となりそう、あとは権力争いの始まり、
あくまでも俺自身の考え(´・ω・`)
つか、皆さんこの会話についてきてるのかな?(笑)
80 虫けら [2006/12/13(水) 14:44:22 ID:isofurabon]
返信が遅れました。
>それが五大老五奉行。そもそも〜〜
この制度が秀頼を補佐するという名目で存在したのは分かる。
家康を抑え込むために作られたというのも頷ける。
……ただ、制度自体があまりにヘタクソなだけで。
統一してからは天下の人材が秀吉の下にいたわけだし、
ブレーンたちはそういう体制面をどう思っていたのだろう。
福島ら武官と石田ら文官との対立が非常に激しかったという話はあるけど……。
「補佐」を語って暗躍した側近が歴史には幾百幾千といることを、
「関白」を経験した秀吉は分からなかったのだろうか、と思っちゃいます。
野心を抱いている、という点に関して言えば、何も家康だけではない。
家康に次ぐ強大さを誇る奥州の独眼竜・伊達政宗、
歴史の表舞台から転げ落ちた信長の遺児たち織田家、
豊前の不穏な策士・黒田孝高、
忠誠の姿勢をしているが強力な統制を誇る薩摩の島津家etc……
海外問題、キリシタン問題など問題も山積。
豊臣内部が抗争と収集に揺れ、武官と文官は日増しに険悪になり……
そうなってきたら、秀次⇒秀頼 のバトンタッチ期間すらもたないでしょうね。
81 (´・ω・`) [2006/12/14(木) 00:18:05]
>>80
全体的にヘタクソとは言い切れない、五大老の中に前田利家がいたのは良かった。
でも不幸な事に前田利家は早くに死んだ。
徳川と豊臣恩願大名を抑える唯一の人物が亡くなったのが痛かった。
それからは五大老の筆頭の徳川が力を更につけた。
逆に毛利家や宇喜多家は力はあったが外交力弱かったし。
日本に帰還したのはいいけど、その後の各武将への恩賞の少なさや待遇の無さが対立を招いたんじゃないのかな?
と俺自信考えた。もっと理由は多そうだが。
確かに野心を抱いてる大名はいる。
伊達家は豊臣に米沢城をとられたため外に行くより米沢城奪回を目指したんだよ(´・ω・`)
米沢城は鎌倉?時代に伊達家が奪って以来代々統治してる城だから。
82 (´・ω・`) [2006/12/14(木) 00:38:05]
>>80
織田家は豊臣寄りだし
黒田は、九州を統一してたかもしれないね。
如水は戦国時代を代表する策士だし、ただし島津相手にはてこずるかもしれないが。。
島津は、統制力はあるものの。朝鮮でかなり被害を負ったし、いくら「鬼石蔓子」と言っても九州の再度統一は無理っぽい。
でも、家康が死んだ後も数十年豊臣家は残っていたと考える(´・ω・`)
83 虫けら [2006/12/14(木) 02:09:32 ID:isofurabon]
頼れるのは前田だけ……。それじゃあかんわぁ、豊臣家……。
やっぱヘタクソですなぁ。
上杉ならまだしも、他は頼りにならないと踏んでいたんだし。
家康の度重なる盟約違反で事実上崩れた、とされている辺り、
拘束力の貧弱な面がありありと見えてますネ。
武官、文官の対立は早い段階からありました。
戦下手で、たびたび失敗する石田三成を柴田・福島らは常々あざ笑っていた。
だが石田らは後方支援や宣撫、内政で功績をあげ、武官を「能無し」と思っていた。
秀吉も石田ら文官をひいきし始めるようになる。
すると武官派は、石田がひいきされ出したことと功績に嫉妬し始めた。
両者は廊下ですれ違っても会釈のひとつすらしなかったと言う。
朝鮮侵攻の際も両派閥は全く合致せず、
君主・秀吉の影響力でどうにかまとまっている感じでしかなかった。
……ということだったようです。
織田家は関ヶ原で豊臣側に付いたから豊臣ひいきだと思われてもいるが、
小牧・長久手合戦では信雄が家康に協力要請して秀吉に刃向かっている。
結局尊大な態度を取ったから家康にも愛想をつかされるのだが、
信長の孫を擁護する、と口実を合わせて、まんまと織田の勢力を奪い取り、
反対した信長の遺児たちを次々と消していた秀吉に、
織田家が恨みを感じていないはずがない。
相応の力か、強力な後ろ盾があれば反乱していたって不思議ではないと思いますが。
如水がまた面白い人物。
関ヶ原が長期戦となれば九州全土を支配下に収めていた、と言われているし、
「お前の左手は何をしていた」と家康殺害をほのめかすようなことを息子に言ったり。
島津には苦戦するだろうけど、
如水と戦略で張り合って島津が勝てるとは思えない。
確かに島津は動けないでしょうね。
ただ有能すぎる配下というほど困るものはないわけで……。
再編成を終えたらまた気をくばらないといけませんし。
「豊臣家」ならば残る可能性は十分にあるでしょうが、
「天下の豊臣家」は十年と残らないでしょうね。
例え家康が死んで、凡将の秀忠がその座に就こうとも、
三河軍団と松平一族の強固な結束はその程度で崩れないはずですから。
84 虫けら [2006/12/14(木) 02:14:19 ID:isofurabon]
訂正。
信雄は長久手戦終盤、
秀吉にご機嫌とられて買収みたいなことされてますネ。
……しかしそれぐらいで織田は豊臣になびいたのかな。
そうだとしたら信長も浮かばれないだろうなぁ。
85 (´・ω・`) [2006/12/14(木) 10:47:46]
そしてもし戦になったら、毛利家、宇喜多家、上杉家の大大名が動く
という考えがこの図でわかる。
結局は関ヶ原で負けて衰えたけど(^_^;)
でも、秀吉が死んだ時の織田家の主君は豊臣寄りだし、秀吉と対立してた信雄は既に織田家の実権はないし、いくら後ろ建てがあるにしろ、反乱を起こすとは考えにくい。
まぁいくら徳川の結束が強くても、秀忠が豊臣を倒す。というのは恐らく困難でしょ。
86 我鬼 [2006/12/30(土) 04:53:17]
確に、秀忠の頭では秀頼を倒すのは無理だったかもしれない。大阪の陣で真田、長曽我部に加えて加藤、前田、九州(黒田、島津など)が動けばどうなっていたのか
87 我鬼 [2006/12/30(土) 05:24:08]
曽→宗
88 Q太郎 [2007/03/26(月) 12:35:05]
雑賀まごいち結構好きです
89 鬼美濃 [2007/08/21(火) 17:57:20]
はじめまして。自分は武田家の40年近く合戦をして1度も傷を負わなかった馬場信春と赤備で有名な山県昌景が好きですね。
90 ソン [2008/05/12(月) 20:48:03]
『真田 日本一の兵
古のよりの物語にも これなき由』
上は真田幸村の強さを島津氏が「薩藩旧記」に書いてたものです。
これ結構好きな文です。
さてちょっと問題出してみます{歴史はあんまり詳しくない}
もちろんテストに出るものもあるかもしれないかもしれませんよ。
ゲキムズだと思う問題には数字の横に(ゲキ)と付けています。
1 ナポレオン毒殺説はナポレオンの髪に何が検出されたから出た?
2(ゲキ) フランス革命を起こしたものは呪いをかけられたダイヤモンドと言われる。
このダイヤモンドの名前を答えよ
3(ゲキ) 島津氏には鉄砲隊に伝わる退去法がある。その退去法とは何か?
4 伊達政宗の軍は朝鮮出兵のときどの様な格好で出た?
4問までにしときます。