1 きゃ [2008/04/14(月) 00:03:26]
誰か口語訳お願いします(´д`)
2 ゆら [2008/04/15(火) 21:24:32]
「藤壺の宮 入内」をGoogleで検索してみては?
3 も [2008/05/15(木) 19:48:15]
いずれの帝の御世であったろうか、女御や更衣が大勢お仕えされていた中に、それほど高貴な身分ではないものの、格別に帝のご寵愛を受けていらっしゃる方がいた。
入内した初めから、私こそはと自負なさっていた女御の方々は、気に食わない者として軽蔑したりねたんだりなさった。同じ身分またはそれより下位の更衣たちは、いっそう心安くない。朝晩のお勤めにつけても、周りの人々の気ばかりもませ、恨みを買うことが積もりに積もったからだろうか、ひどく病気がちになり、何とも心細いようすで実家に下がりがちになってしまった。そのため、帝はますます物足りなくいとおしくお思いになり、人がそしるのも気兼ねなさることもできず、後の世の例にもなってしまいそうなお取り扱いだ。
公卿や殿上人なども、感心できないと目をそらし、まさに見ていられないほどのご寵愛ぶりだった。中国でも、こういうことが発端で世の中が乱れ、まことに不都合だったのにと、しだいに世間でも苦々しく思われ、人々の心配に種となった。楊貴妃の例も引き合いに出されそうになり、たいへん辛い立場になってしまったが、畏れ多い帝の愛情が他に並びないのをひたすら頼みとして、他の人々と交際していらっしゃった。
父親の大納言は亡くなって、母親の北の方が古い家柄の教養ある人なので、両親ともそろっていて現在の世間の評判が華やかな方々にも大してひけをとらず、どのような事柄の儀式にも対処なさっていたが、これといった確かな後見人がいないので、いざ大事な儀式が行われるときには、やはり頼りとする人がなく心細い様子だった。
(注)女御・更衣 ・・・ いずれも天皇の夫人。女御は皇后・中宮に次ぎ、更衣は女御に次ぐ地位。
(注)上達部 ・・・ 公卿。三位以上の人。
(注)上人 ・・・ 殿上人。四位・五位の人。
4 も [2008/05/15(木) 19:49:38]
帝と更衣は、前世でも御宿縁が深かったのであろうか、世にたぐいのない美しい玉のような皇子までがお生まれになった。帝は、早く早くとじれったくおぼし召されて、急いで参内させて御覧になると、たぐいまれな若宮のお顔だちである。第一皇子は、右大臣の娘の女御がお生みになったので、後見が確かで、まちがいなく皇太子になられる君だと、世間でも大切に思い申し上げているが、この若宮の輝く美しさにはお並びになりようもなかったので、第一皇子に対しては並みひととおりのご寵愛ぶりであって、この若宮の方をご自分の思いのままにお可愛がりあそばされることこの上ない。母の更衣は、元来、ふつうの宮仕えをなさるような軽い身分ではなかった。世間の評判もとても高く、貴婦人の風格があったが、帝がむやみにお側近くにお召しあそばされ過ぎて、しかるべき管弦のお遊びの折々や、どのような催事でも趣ある催しがあるたびごとに、真っ先に参上おさせになった。ある時には、いっしょに寝過ごしなさって、そのままお側におおきになるなど、むやみに御前から離さずに御待遇あそばされるうちに、自然と身分の低い女房のようにも見えたが、この若宮がお生まれになって後は、更衣のことを格別にお考え定めあそばされるようになっていたので、「皇太子にも、ひょっとすると、この若宮がおなりになるかもしれない」と、第一皇子の母女御はお疑いになっていた。このお方は誰よりも先に御入内なされて、帝の大切にお考えあそばされることはひと通りでなく、ほかの御子たちもおいでになるので、このお方のご苦情だけは、さすがにやはり、うるさいが無視できないことだと、お思いあそばされた。
5 も [2008/05/15(木) 19:50:15]
もったいない帝の御庇護をお頼り申しあげてはいるものの、更衣を軽蔑したり落度を探したりなさる方々は多く、ご自身はか弱く何となく頼りない状態で、なまじ御寵愛が厚いばかりかえってひどい気苦労をなさっていた。更衣のお部屋は桐壺である。帝が、多くの方々のお部屋の前を素通りなさってひっきりなしに桐壺へ行かれるので、その方々がお気をもまれるのもなるほど無理からぬことと思われた。更衣が参上なさるときも、あまり度重なる折々には、打橋や渡殿のあちこちの通路にけしからぬことをたびたびして、送り迎えの女房の着物の裾が汚れてがまんできないような、とんでもないことがあった。またある時には、どうしても通らなければならない馬道の戸を閉じて中に閉じこめて、こちら側とあちら側とで示し合わせて、進むも退くもできないように困らせることも多かった。何かにつけて数え切れないほど辛いことばかりが増えていったので、たいそうひどく思い悩んでいるのを、帝はますますお気の毒におぼし召されて、後凉殿に以前から住んでおられた別の更衣のお部屋を他にお移しになって、桐壺更衣に上局としてお与えになった。その方(後涼殿更衣)の恨みはまして晴らしようがない。
6 も [2008/05/15(木) 19:50:46]
その年の夏、御息所(桐壺更衣)は、弱々しい感じにおちいってしまい、里に引き下がろうとなさったが、帝はお暇を少しもお与えにならない。ここ数年来の、いつもの病状だとお見慣れになって、「やはりこのまま、しばらく様子を見よ」と仰られているうちに、日に日に重くなられて、わずか五、六日のうちにひどく衰弱したので、更衣の母君が涙ながらに奏上して、やっと退出なさった。このようなときにも、あってはならない恥を受けでもしてはと心配して、若宮を宮中にお残しして、人目につかないように退出なさった。
もう限界だったので、お気持ちのままにお引きとめすることもできず、お見送りさえままならない心もとなさを、言いようもなく無念におぼし召された。たいそうみずみずしく美しくかわいらしい人なのに、ひどく顔がやつれて、たいそうしみじみと物思うことがありながらも、帝に言葉に出して申し上げることもできずに、生き死にも分からないほどにたびたび意識が薄れていかれるのを御覧になると、帝はあとさきもお考えにならず、いろいろなことを泣きながらお約束なさるが、更衣はお返事を申し上げることもできず、まなざしなどもとてもだるそうで、いよいよ弱々しく、意識もないような状態で臥せっていたので、どうしたらよいものかと途方にくれていらっしゃった。更衣のために手車の宣旨などを仰せ出されても、いよいよとなると再び更衣のお部屋に入られ、どうしても退出をお許しになる気になれない。
「死出の旅路にも、後れたり先立ったりするまいと約束したものを、いくら病気が重くても、私をおいてけぼりにしては行ききれまい」と仰ったのを、女もたいそう悲しくお顔を拝して、
「人の命には限りがあるものと、今、別れ路に立ち、悲しく思われるにつけても、私が本当に行きたいと思う路は、生きるほうの路でございます。
ほんとうにこれほど悲しい思いをいたしますのでしたら」と、息も絶えだえに、申し上げたそうなことはありそうな様子ながら、たいそう苦しげにだるそうなので、このまま最期となってしまうのも見届けたいとお考えになるが、「今日から始める予定の祈祷などを、しかるべき僧たちの承っておりますのが、今宵から始めます」と言って、母君の使者がせきたてるので、帝はやむを得ず退出させなさった。
(注)御息所 ・・・ 帝から寵愛を受けている女性の尊称。
7 も [2008/05/15(木) 19:51:13]
帝は、お胸がひしと塞がって、少しもうとうとなされず、夜を明かしかねていらっしゃった。勅使が行って戻ってくる間もないうちから、しきりに気がかりなお気持ちを仰り続けていらしたが、「夜半少し過ぎたころに、お亡くなりになりました」と言って更衣の里の人たちが泣き騒いでおり、勅使もたいそうがっかりして宮中に帰参した。更衣の死をお聞きになる帝の御心は動転し、どのような御分別をも失われて、引き籠もってしまわれた。
若宮は、それでも御覧になっていたかったが、このような折に宮中に伺候していらっしゃるのは先例のないことだったため、更衣の里へ退出なさろうとした。何事があったのかもお分かりにならず、お仕えする人々が泣き惑い、父主上も涙が絶えず流れていらっしゃるのを、変だなあと御覧になっているのを、普通の場合でさえ、このような別れが悲しくないはずもないのに、ましていっそう悲しく、何とも言いようがない
8 も [2008/05/15(木) 19:51:35]
野分めいて、急に肌寒くなった夕暮どき、帝はいつもよりも亡き更衣をお思い出しになることが多くて、靫負命婦という者を更衣の里にお遣わしになった。夕月夜の美しい時刻に出立させ、そのまま物思いに沈んでいらっしゃった。このような折には、よく管弦のお遊びなどをお催されたが、更衣がとりわけ美しい音色で琴を掻き鳴らし、何気なく歌われた歌も、ほかの人とは格別だった雰囲気や顔だちが、面影となってひたとわが身に添うように思われ、古歌にある「闇の中の現実」にはやはり及ばないのであった。命婦が更衣の里に参着して、車を門を引き入れると、しみじみと哀れ深い。母君は未亡人暮らしだったが、娘一人の養育のために、あれこれと手入れをきちんとして、見苦しくないようにしてお暮らしになっていたが、亡き娘を思う悲しみに暮れて臥せっていらっしゃったうちに、雑草も高くなり、野分によっていっそう荒れた感じで、月の光だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいた。寝殿の南正面で命婦を車から下ろしたが、母君もすぐにはご挨拶できないでいる。
「今まで生き長らえておりますのがとても辛いのに、このようなお勅使が草深い宿の露を分けてお入り下さるのは、とても恥ずかしうございます」と言って、いかにも身を持ちこらえられないほどにお泣きになる。「『お屋敷に伺うと、ひとしおお気の毒で、心も魂も消え失せるようでした』と、先日の典侍が奏上していましたが、物の情趣をわきまえない私の心にも、なるほどまことに忍びがたいことです」と言って、少し気持ちを落ち着かせてから、仰せ言をお伝え申し上げた。「『しばらくの間は夢かとばかり思い続けていましたが、しだいに心が静まるにつれて、夢ではないので覚めるはずもなく、堪えがたい気持ちをどのようにしたらよいものかとも、相談できる相手さえいないので、人目につかないように参内なさらぬか。若宮がとても気がかりで、湿っぽい所で過ごすのもいたわしく思うので、早く参内なさい』などと、帝ははきはきとは最後まで仰りきれず、涙に咽ばされながら、また一方では、人びともお気弱なと思うだろうとお憚りにならないわけではないご様子がおいたわしく、最後までお聞き申し上げないようなありさまで、退出して参りました」と言って、お手紙を差し上げた。
9 も [2008/05/15(木) 19:52:01]
年月がたつにつれても、帝は桐壺御息所のことをお忘れになる折とてない。「心慰めることができようか」と、しかるべき婦人方をお召しになるが、「せめて御息所に準ずるほどに思える人さえめったにいない世の中だ」と、万事いとわしいばかりに思うようになってしまわれた。そうしたところ、先帝の四の宮で、ご容貌が優れていらっしゃるという評判が高い方で母后がまたとなく大切に育てられた方を、帝にお仕えする典侍が先帝の御代からの人で、あちらの宮にも親しく参って馴染んでいたので、その四の宮がご幼少の時分から拝見し、今でも時おり拝見して、「お亡くなりになった御息所のご容貌に似ていらっしゃる方を、三代の帝にわたって宮仕えを続けておりまして一人も拝見できませんでしたが、先帝の后の宮の姫宮さまこそ、たいそうよく似てご成長あそばされました。世にもまれなご器量よしのお方でございます」と奏上したところ、「ほんとうにか」と、お心が引かれて、丁重に礼を尽くして四の宮の入内をお申し入れになった。
母后は、「まあ恐ろしいこと。東宮の母女御がたいそう意地が悪くて、桐壺の更衣が露骨に亡きものにされてしまった例も忌まわしい」と、おためらいになり、すらすらとご決心もつかないうちに、その母后もお亡くなりになってしまった。
四の宮が心細いようすでいらっしゃったので、帝は、「ただ、わが皇女たちと同列にお思い申そう」と、たいそう丁重に礼を尽くしてお申し上げなさった。お仕えする女房たちや、御後見人たち、ご兄弟の兵部卿の親王などは、「こうして心細くおいでになるよりは、内裏でお暮らしになって、お心も晴らすように」などとお考えになって、入内させなさった。
藤壺と申し上げる。なるほど、ご容貌や姿は不思議なほど亡き更衣によく似ていらっしゃった。この方は、ご身分も一段と高いので、人の思うところも申し分なく、誰も悪口を申すこともできないので、帝は誰に憚ることなく何も不足ない。あの方の場合は、周囲の人がお許しにならなかったところに、御寵愛が憎らしいと思われるほど深かまったのである。ご愛情が紛れて亡き更衣のことをお忘れになるというのではないが、自然とお心が移っていかれて、この上もなくお慰めになるようなのも、人情の性というものであった。
10 も [2008/05/15(木) 19:52:24]
源氏の君は、帝のお側をお離れにならないので、まして帝が頻繁にお渡りあそばす藤壺宮は、源氏の君に恥ずかしがってばかりいらっしゃれない。どのお妃方も「自分が人より劣っている」と思っていらっしゃるはずもなく、それぞれに皆お美しいがややお年を召しているのに対して、藤壺宮はとても若く可憐で、つとめてお姿をお隠しなさるが、源氏の君は自然と物のすき間からお顔を拝見する。
源氏の君は、母御息所の顔かたちすらご記憶にないのだが、「藤壺宮は母君にとてもよく似ていらっしゃる」と、典侍が申し上げるので、幼心に藤壺宮をとても慕わしいとお思いになり、「いつもお側に参りたく、親しくお顔を拝見したい」とお思いになった。
帝もこの上なくおかわいがりのお二方なので、「どうかこの子をお疎みなさいますな。不思議とあなたを若君の母君となぞらえ申してもよいような気持ちがする。ですから失礼だとお思いにならず、可愛がってやってください。顔だちや目もとなど大変よく似ているため、母君のようにお見えになるのも、母子として不似合いではないのですよ」などと、お頼みになるので、源氏は幼心にも、ちょっとした花や紅葉などことつけても、藤壺宮に対する好意をお見せになる。それがこの上ないようすだったので、弘徽殿の女御は、またこの藤壺宮とも仲がよろしくないので、それに加えて、もとからの憎しみもよみがえってきて、源氏を不愉快だとお思いになっていた。
世の中にまたとないお方だと評判高くおいでになる一の宮のご容貌よりも、やはり源氏の照り映える美しさにはたとえようもなく、世間の人は、「光る君」とお呼び申し上げる。藤壺宮も源氏の君とお並びになって、帝の御寵愛がそれぞれに厚いので、「輝く日の宮」とお呼び申し上げる。
11 LLaa [2008/05/18(日) 09:08:01]
も さん 優しいですねぇ…とても僕にはできない…
横合いから余計なことを失礼しました(^^;